| ENGLISH |
(司会) 最後にお聞きしたいのですが、 おそらく医者という肩書は社会において人々から持ち上げられちやほやされる職業ではないかと思うんです。 そうした中で皆さんが謙虚さのようなものを失わないためにどのような心構えをされているんでしょうか。
(後藤) 医者をちやほやする理由は二つあって、一つは、僕は一応経済学者なので……単純にちやほやする側が得だからなんですよ。それ以上でもそれ以下でもない。ちやほやされる側が偉いとか偉くないとかいう問題ではない。それが前提だと思うんですよ。もう一つは、死を前に客観的にそれに向き合うというか、人の生死に関わる大変さを乗り越えて治療してくれる人の、なんとなくの神々しさを一人ひとりの臨床医が持ってることじゃないかなと思いますね。それを人々が感じ取って、医療の本当の価値をわかって尊敬している、これは「いいちやほや」だと思います。「大変ですが、素晴らしいお仕事ですね」「まあそれほどでも」という感じで。もし「変なちやほや」がなくなっても、この尊敬だけは残る職業なのかなあ。
(楯谷) そうであってほしいですね。
(坂本) 僕は元同僚というか、医者を含めた病院のスタッフを尊敬してます。まあ、楽なことをしてお金儲けてる人もいるけど、僕の友達とかはみんな金儲けじゃなく命を守るためにやってるし、それで朝から晩までずうっとやってるわけですよね。同僚同士で愚痴を言いあったりとかはしてるけど、基本的には患者さんのためにと思ってみんなやってるわけじゃないですか。で、時給に換算したらほんとに安くても、ずっと働いている人がいっぱいいる。僕はいま日本で臨床医としての仕事はそんなにしてないけど、一生懸命がんばっている友人達を尊敬してます。
(後藤) 一本の注射をシュッて入れたら患者さんがパッとよくなるっていうことがあるっていうのはすごいですよね。救急とかそうでしょ。
(坂本) そうですね。だからブータンで本当に感謝されるとうれしいですよね。注射一本で治って感謝されたり、抗生剤パッと出して一日でスキッと良くなったりするとうれしいですよね。
(後藤) 感謝されるっていうことは研究者やってるよりは多いでしょうね。
(楯谷) 私は、常勤の臨床医としての経験が 5 年間だけなので、まだ駆け出しと思ってました。それでも患者さんに感謝されることもありましたけど、一生懸命やってもうまくいかない人もいますしね。まだまだやなと思うことが多くて。先日テレビ見てたら、 天ぷら職人の名人がプロフェッショナルとは ? って聞かれて、「うまいねって言われたら、そうやって作りました、 と。それがプロ。出来上がりも始まる前からわかっている」みたいなこと答えてて、かっこよすぎると思って。 そういう風に、患者さんがよくなったら、そのようにしました、みたいなそういう感じの外科医になりたいなとずっと思ってたんで。そういう意味ではまだまだやなっていうのはあって、 あんまりプライドっていうところまでいかなかったですね。今もそういう意味ではプライドなくて。逆に、研究って、そのようにしました、じゃないですよね。出来上がりがどうなるかわからないじゃないですか。少なくとも私なんかは、永遠のアマチュアみたいな感じやなあと。新しいことやろうと思ったらやっぱり知らないことばかりやし、誰かに習ったり試行錯誤したりが必要やし。研究者としてのプロってなんやろ、どっちにしろまだまだやな、と思いつつやってる感じです。
(司会) 三人三様の答えが出ました。 人の死に直面しながらも絶望せずそれを乗り越えて救命を目指す責任感。 研究に関して未知の領域があって、 自分が関わっているのはまさにそういった領域であることを認識する謙虚さ。そして日夜医療行為に励む同僚たちへのリスペクト。こうした思いがあることによってバランスを取ることができるんですね。ありがたい話を聞かせていただきました。