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(司会) まずは簡単な自己紹介と研究領域などについてご説明お願いします。
(後藤) こんにちは。私は実は楯谷さんと医学部の同級生なんです。平成 10 年に卒業し、2 年間臨床研修を神戸の病院の内科でしました。そのあと経済の大学院にいきました。それから医療経済学という分野をやっています。医療経済学では、医療にかけるお金をどれだけうまく効率的に使うかを考えます。実際に政策を実行に移すときは、細かな同意形成が必要で、一般の人たちの意見をどうやって取り入れるという問題もあります。世の中の人の意見のばらつきを定量化して、政策形成にどのようにもっていったらいいかを研究しています。
(司会) なるほど。次に楯谷さんお願いします。
(楯谷) はい。私の場合は医学部を卒業したあと5年間臨床医として働いていました。そのあと医学研究科の大学院に入りました。臨床医をやっていた間はずっと臨床医として生きていくつもりだったので、どちらかといえば大学院に入ってから研究にはまってしまったというような感じです。いまの専門は内耳の発生にかかわること、つまりどうやって「聞こえ」のための器官が出来上がるかということです。でも最初は声帯の研究を 2 年ほど、委託研究の形で別のところでやっていました。京大に戻ってきたのは大学院の 3 年目にあたる年で、そのときに今もお世話になっているウイルス研究所の影山龍一郎先生のラボに居候させてもらえることになって、それからずっと内耳の研究をしています。
(司会) ありがとうございます。それでは坂本さん。
(坂本) はい。僕は東北大学の医学部を出て、そのあと東京の国立国際医療センターで救急をやっていました。その中で、重病になる前に、たとえば高血圧を治療するなどして早期に予防するのが本当に大事なんじゃないかと思って。それで公衆衛生という世界に入りました。京大の公衆衛生学教室に話を聞きに行ったら、 フィリピンで人形芝居をやりながら健康教育をしてまわるプロジェクトをやっていると。それは面白そうだなと思って入ったんです。
(後藤) それは誰が?
(坂本) 中原俊隆先生。それで楽しそうだなと思って入ったら、そのプロジェクトは終わっちゃっていたんですよ。どうしようかなと思っていたら、 京大の松林公蔵先生がフィールド医学という分野を開拓されていて、その先生がヒマラヤや東南アジア諸国に行っていることを知ったんです。そのゼミをとって、そこからフィールド医学という世界に入って。いまブータンで高齢者医療を展開しています。 ブータンではこれまで母子保健や感染症とかが大きな問題でしたが、発展途上国でも生活習慣病とかが大事になってきています。それだと予防が大事だっていうことで健康診断を広めて、ブータンで予防をやるプロジェクトをしています。
(司会) ブータンを選んだきっかけは何だったんですか。
(坂本) 僕ブータンにずっと憧れてました。小っちゃいときに見た写真で、ブータンの人は日本人と同じような恰好してて、顔も似てて。ああなんか昔の日本ってこんな感じだったんだろうなと思って。そういうところに一度行ってみたいなとずっと思ってたんです。僕は地球研というところに所属していたんですけど、そのプロジェクトでは世界の三大高地で老化と低酸素の影響などをいろいろ調べようとやっていたんです。でもプロジェクトの評価委員会から、そんな壮大なプログラムはだめだと言われて。ヒマラヤ地域に絞れと。それで松林先生がヒマラヤ地域でどこか行きたいところはないのかと言われて。それで僕はブータンと答えて。実は前からずっとブータンにいきたいと思っていたんですと。そうしたら京大とブータンは昔から、1957 年からつながりがあって、国立民族学博物館の栗田 靖之先生に頼んだら行けるかもしれないと言われて。それでほんとに行けることになったんです。
左から後藤氏、楯谷氏、坂本氏