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(田中) さっきシジュウカラは日本もヨーロッパも語順が一緒とのことで、文法構造と行動様式との関係には簡単につながりそうにないかなと思います。知覚と思考と認知の関係みたいに。言葉の一番基本的な形が見えたかもしれないとか記憶の始まりのメカニズムが明らかになるかもと聞くと、普段の「昨日食べたご飯がおいしかった」という日常的な言葉も全てそのメカニズムに収まっているのではと、つい思ってしまう。でも「おいしい」と「おいしいから嬉しい」は全く違う回路を通って成立しているので、そこまでたどり着くにはいろんな話を組み合わせないといけない。平野さんが解明されている記憶の研究とどこまでつながるんでしょうか。
(平野) 例えば昨日食べたものがおいしいというのは新しい脳回路(サーキット)ができたからです。おいしいパスタを食べたら、それが情動のサーキットネットワークにつながって報酬として捉えられて、情動的なエモーショナルドライブになるサーキットを作ってるから幸福感が得られるんですね。楽しい時を思い出すと楽しい気分になるというのはそういうサーキットができているから。それは例えば人に伝えても完全に同じようには伝わらない。
(田中) バーチャルリアリティは装置がなくてもできると思うことがあるんですけど、例えば私が天野さんに昨日食べたパスタのおいしさを伝えたい時に、天野さん側にすでにできているサーキットのどれかを使おうとして、うまくヒットすると共有できる。
(鈴木)でもそこには言語の限界がある気がします。対面して言語で伝えている時、非言語的コミュニケーション(表情やしぐさ)と言語がリンクしている。本などの文面で見るだけだと限界がある。
(田中) サーキットができる時っていう
のは。
(平野) それは記憶ですね。どの記憶についてもある程度同じです。でも視覚から情動なのか聴覚から情動なのかという、使っている回路は違うかもしれません。
(田中) 言語でも記憶でもここにメカニズムがあるといわれると、人も一つの機械みたいにシステムがあると思ってしまうんですが、平野さんのご研究でも鈴木さんの研究でも、あまり早合点してはいけない複雑さがある。
(平野) 基本的には脳は進化した最終態として各動物が持っているものなので、各動物が生活環に合った脳を持っていると思いますよ。ショウジョウバエは匂い情報を使うから匂い学習ができるんだけど、巣がないから視覚情報はあまり使わない。ミツバチは巣があるから視覚情報が必要。ハエはミツバチより視覚回路は弱いです。いらないものを覚える必要はないし、生存に必要がない。
(田中) でもそのあとで、経験の中でこ
れは必要というものは自分の中でどんどんサーキットを作っていく。
(平野) 受容できる領野があれば、ですね。人間には思春期があって学習の臨界期とかなり関連があって学習しやすい時期と全然できない時期がある。
(鈴木) 臨界期は鳥の音声学習にもありますよ。小鳥のヒナは巣立ってからおよそ 1 か月の間、親から餌の食べ方などを習うのですが、その時に父親から複雑な鳴き声を学習していくといわれています。その期間にもし人がヒナを保護してしまったら、放した後うまく野外でやっていけない。遺伝的には同じベースを持っていても臨界期での経験がその後の鳥の人生(鳥生?)を左右しちゃう。
(平野) ちょっと話が変わりますが、キンカチョウで臨界期の時間がどうやって決められるのかを調べる実験があって、鳴きそうになったら檻を叩いて鳴かせないようにする、というのを交代制でやる。すると臨界期が伸びるんです。
(一同) へぇー。
(平野) 結論としては、自分が鳴くという行動の方が大事なのではないか。聞いて鳴くのでなく自分が復唱する回数をカウントしている。
(鈴木) なるほど、時間的な感覚じゃな
くて。
(平野) そう、自分が聞いて学習するのではなく自分がどれだけアクションを起こしたか。
(鈴木) 人間でも、頭を使ってないと錆びるって、のび太のお母さんも言ってましたしね。
(一同) (笑)。
(田中) 今みんなで笑ったのは、それぞれの頭の中にドラえもんという表象を作ったからですね。お三方のお話を聞いていて気になっていたのは、言葉もそうなんですが、記憶サーキットができていく時に個体差も地域差もある。その境目って何なんだろう。直接的には食物や生死に関わるようなカテゴリーを獲得するのはありえそうですが、美術や文化などは生死には関係ないけれども重要で価値があるものもあるし、一見わからないけれども自分たちの存在に関わるかもしれない。