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(田中) そこはすごく大事なところだと思います。言葉は本能から得られるものなのか、経験や教育から構築されるものなのか。今の理性の話も、私たちは人間と動物は地続きじゃないかと経験的に感じている。鈴木さんのシジュウカラの言葉の研究について、特にメディアから大きな反響があったそうですね。それまで私たちは人間以外の生き物には単に言語の原始的な姿をイメージしていたのですが、そうではなくてある程度分節していて文法がありそうだと。
(鈴木) 先ほど申し上げた、学習なのか
本能なのかがすごく大事なのですが、「言語」という用語は結構アバウトで、複数の認知メカニズムが組み合わさったものだと僕は思っています。言語には、例えば音を分節化する能力、それを組み合わせる能力、ルールを使う能力、もしくは音を聞いた時にその音の指示対象─心理学では「表象」といいますが─を頭の中に思い描く能力などいろいろなものが含まれて、僕たちはそれらの認知機能を総合的にコミュニケーションに使っています。単純な情報伝達はもちろん多くの動物に見られますし、シジュウカラの場合はもっとすごくて、ヘビを見た時にしか出さないジャージャーという声を聞かせると、ヘビを探すんですね。つまり恐怖の気持ちが伝わっているのでなく、実際にヘビという対象物を指し示すことができている。人間の 1 歳児くらいの指示能力があるんじゃないかと思っています。
(平野) 逃げるんじゃなくて探索するんですね。
(鈴木) そうですね。ヘビを見つけると追い払いに行くんです。音から得た情報と視覚的な探索像を結びつけ、ヘビを探しに行く。ちゃんと対象を指示できるんです。それだけでなく、異なる鳴き声を組み合わせてもっと複雑な意味を伝えることもわかってきました。その時にルールも作っているんです。仲間に警戒を促すピーピーという声と、仲間を集めるジジジという声があるんですが、それを組み合わせると仲間が警戒しながら鳴き声に近づいてくる。そこにはちゃんと語順もあって、必ずピーピージジジと組み合わせる。実験的にジジジピーピーと逆転して聞かせると意味が伝わらない。一定の語順に組み合わさったときにだけ、合成的な反応を示すんです。
(平野) 合成的な反応というのは、別の行動を取るということですか。
(鈴木) そうです。首を振りながら、気をつけながら集まってくる。
(天野) すごい。なるほど(笑)。
(平野) 生得的な回路ですね、それは多分。学習したものではない。
(鈴木) いえ、実は学習によってできるということもわかってきています。シジュウカラはコガラという鳥と一緒に群れ(混群)を作っていて、そのなかではお互いの言葉を理解します。コガラが「集まれ」といってもシジュウカラは集まってくる。しかもそれをちゃんと学習している。このコガラの「集まれ」をシジュウカラの「警戒しろ」の後に実験的に組み合わせてみても、シジュウカラはちゃんと合成的な意味を理解できるんです。
(平野) 確かにそれは面白いですね。さっき少し考えていたのは、その言語は、伝えて意思決定させるツールとなるかどうか。例えば「集まれ」という信号を聞かせて、同時に自分の子どもが巣から落ちて鳴いていて、選択しなきゃいけない時に、優先順位を決める材料として音声を使ってるんであれば、多分選択すると思うんです。生得的な回路をただ駆動させるんじゃなくて、思考する。
(鈴木) 実はシジュウカラは、それができるんですよ。
(田中) すごい!(笑)
(天野) やった! シジュウカラ(笑)。
(鈴木) シジュウカラ、マジですごくって。
(平野) マジで(笑)。
(鈴木) 例えばヒナは、生まれて 2 週間ぐらいで匂いがしてきて、ヘビに食べられやすくなる。この状態でヘビを見ると親鳥はかなりジャージャー鳴きます。匂いがしなかった時はあまり鳴かなかったのに。さらに、この声を聞いた他の親鳥は、ヘビがいそうな地面や茂みを探したり、巣箱の中にいたら食われちゃうから外に出たり、状況によって行動を変化させます。反射的な行動でなく解釈を挟んでいると僕は思っているんです。
(田中) ヘビの概念とヘビの表象が浮かんでいて、こういう場合は、というふうに思考の発生がある。
(平野) そうですね。ネズミはキツネを知ってるんですよね。生まれる前から。
(一同) へぇー!
(平野) キツネの糞の臭いに特異的な物質があって、それをネズミは学習しなくても認識できる。固まっちゃうか逃げるかという行動を取るんです。シジュウカラに対するヘビは、敵を示唆するものとして遺伝的に組み込まれてもそれほど不思議じゃないと思います。
(田中) 確かにシジュウカラのヘビについての警戒音は、ヘビっぽい音ですよね。いわゆるオノマトペに近いような音で、不思議だなと思います。それから地域差があるんですよね、日本とヨーロッパとでは違うと。それは日本語とフランス語の違いみたいなものなのか。外国語をやってると、不思議と体感的な似通ってる音に、想像力をかきたてられることがありますが、鳥の場合にもそういうことがあるのか。
(鈴木) ヨーロッパのシジュウカラと日本のシジュウカラは分岐してだいたい300 万年も経ってるんですが、結構同じような音を共有しています。文法構造も似ている。ヨーロッパは寒すぎてヘビがいないので、日本のシジュウカラのヘビに対する警戒音を聞かせて理解できるようなら、生得的な機構があるのだろうと思います。
(田中) ここは大事ですよね。語彙が違うのかというのがすごく気になってたんです。文法構造が一緒ということになると、刺激-反応の連鎖、刺激に対する内側の反応がどのような順序になっているか、外側の音の構造が対応してるだけじゃないかという解釈もある。
(鈴木) それは一つ一つの要素で考えなきゃいけなくて、例えば表象する能力と、表象にかかわる細かな情報を学習する能力とは別なんじゃないかと思うんです。ヘビに対する嫌悪感を人間も生得的に持っていて、そのヘビに毒があるかどうかなどの細かい情報は後から学習していく。要するに学習能力とイメージ能力は別かなと思っています。
(田中) 何かに反応する能力と、その反応の上に何を積み重ねて構築していくかというところで使われる能力が、必ずしもワンセットとは限らない。しかも生き物ごとに違うものを組み合わせて使っていることもありうるから、外側から見て「言語っぽい」と思っても、発動されている機能の性質は全く違うところから来ているかもしれない。本能と文化で分けても無意味で、両方混じっていることもあるんじゃないかと思います。
(鈴木) 昔から動物学者は、敵に対する警戒の声は本能で持っているとずっと信じてきました。それができなかったら死んでしまうから。でも最近の研究では、実は多くの部分に学習が関与していることがわかってきました。捕食者と出会ったことのない若い鳥が捕食者を認識できなかったり、声に正しく反応できなかったりする証拠も集まっています。自分の種類以外の鳥の鳴き声も理解しあっていることもわかってきました。
(田中) 今の面白いですね。若い鳥は「ヘビだ!」といわれていることはわかっても、ヘビに会ったことがないと危ないかどうかはわからない。言語が成長した後に生まれた個体は、ヘビだという言葉は習うけど危ないという体験はまだしていない。それって歴史の話ですよね。言語の方の歴史が先に進んでいる。個体が言語の歴史に対して後から来るので、その個体が持っている本能では対応できないと。
(天野) 例えば何百万年前のシジュウカラたちは今よりも原始的な言葉を喋ってたんですか。
(鈴木) そうですね、おそらくめちゃめちゃ単純な声を出しています。シジュウカラみたいに複雑な声を出す鳥って他にはあまりいない。シジュウカラはシジュウカラ科に属していて、祖先的な一番近いグループはツリスガラ科なんですが、彼らはツィーツィーとしか鳴かないんです。
(田中) それは身体の構造とも関わるんですか。
(鈴木) というより、単純な声でもうまくやっていけたんじゃないかと思います。ツリスガラは個体同士の距離が近くて、常に群れています。周りで何が起きているのか目で見て確認できる。一方、シジュウカラは森の中で暮らしていて、仲間同士が 10 ~ 20m 離れています。しかも、各々で餌を探していることが多い。お互いに見えない中で、自分の置かれた複雑な状況を他者に伝える必要があったから、複数の情報を同時に伝えるための文法が進化したんじゃないかと。
(天野) でもその必要というのも、もっと細やかなコミュニケーションで細やかな行動ができれば、それに越したことはないですよね。
(平野) 最適化に近いですよね(「白眉センターだより」№ 16 参照)。もっと細やかな指示もできるけれども、その種の保存としては逆の選択をした。
(天野) なるほど、じゃあ今が最適な状態だと。
(平野) それとも、まだ進化してる途中段階なのか、わからないですけどね。