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(田中) 私も付け加えておきますと、やはり言葉は特に現代哲学では決定的です。近代以降ヨーロッパ哲学の流れですが、人間が神様の作った特別な生き物ではなく動物であるということを引き受けて考えていく時に、それでも人間は特別だという時の拠り所が言語だった。言語を駆使し、分節し、論理関係ができあがっていく、それを使いながら共同体を作っているのは人間だけだ、というのがずっと中央にあるテーゼになっていた。理性=言語みたいな感じで。
(天野) その場合の理性というのはどういうものなんですか。人間を人間たらしめているものを理性と呼んでいるのか。動物と隔てるものとして。
(平野)
精神医学的な理性の定義は、人間らしさとか自己の中のもう一つの理想となるロールモデルみたいな存在ですね。人間の心はフロイトの時代からそうですが、無意識の状態でいつも意識の中に入ってくるものを自我が止めていて、そうしないと人間が知覚する外界と内的な欲求と理性の整合性が取れない。その整合性を取るために自我が何とかしようとしている。その中の一つのコンポーネントが理性だと。
(天野)
脳の一つの働きとして。
(平野)
人間の脳には理性がある。スーパー・エゴというやつですね。
(田中) スーパー・エゴの方が理性なんですね。面白い。無意識ではなくて。
(鈴木) 「我思う、ゆえに我あり」みたいに、私たちは人間だから自分を内的に知覚して言葉で共有できる。でも実は動物に意識や理性がないことを誰も証明はしていなくて、僕たちは人間が特別だと思い込んでいる可能性もある。