| ENGLISH |
(鈴木) 言葉というと、まず皆さんが考えるのは、私たちが会話の中で使っている言葉ですね。人の言葉はコミュニケーション・ツールで、「他者に情報を伝える」というのが基本的な性質です。そこに着目すると、例えば僕が研究しているシジュウカラという小鳥も、言葉を使っているといえるかもしれない。言葉を人が持っているものだという前提を取っ払ってしまえば、いろんな生物に解釈を広げることができる。そうすると例えばショウジョウバエにもつながるかもしれない。
(平野) ショウジョウバエにはつながらないんじゃないでしょうか。少なくとも文章でないことは確かなんですね。文節がない。ショウジョウバエの場合、特殊な周波数帯の音を出して求愛行動しますが、スピーカーでその周波数帯を聞かせても、間違えて交尾しやすい状態になります。
(田中) 動物の場合は、本能というか生得的なんですよね。学習によって習得するのではない。
(鈴木) 実は生得的じゃないものも含まれています。鳥の場合は鳴き声と意味を関連づけて学習したり、もしくはあるフレーズが文化的に世代を超えて地域に伝承される例が知られています。全てが本能とは言い切れないところがある。
(田中) では、天野さんにとっての言葉というのはどういうものですか。
(天野) 私がやっているサンスクリット語は、印欧語の仲間なんですね。ほとんど全てのヨーロッパの言語、古くはギリシャ語とかラテン語とか、英語もドイツ語も仲間です。印欧語比較言語学は、いろいろな言語に残っている語彙や文法の材料から、言語が分かれる前のもとの形を再建していくんです。専門でない方にそこで出てくる複雑な活用の話をしたら、「人工的だね」と言われたんです。私はもともと言語というのは自然発生的なものだと思っていたのですが、それでは説明のつかない複雑さもあることに気づきました。
(田中) わかります。印欧祖語というのは、インド・ヨーロッパ語族における祖先となる言語で、それを探っておられるということですか。
(天野) さかのぼることができる、分かれ目になったところを再建するということですね。語彙はある程度共通しているところがありますし、文法の活用もある程度再建することができる。