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(佐藤) 菊谷さんは、そういう広義な最適化というものに対する何かをもう持ってらっしゃるんじゃないかなという気がしますが。
(菊谷) いやいや、私が気になるのは、最短距離で行くことっていう、今、宮﨑さんや小川さんがおっしゃったような時間や距離のように限られたリソースのなかで、最短なものが最適化といえるって話ですよね。例えば、インド世界にはいろいろな儀礼があって、手続きが複雑だったり規模が大きいことと、儀礼の効力とが繋がるんです。
(宮﨑) 効力ですか。
(菊谷) ギブアンドテイクの世界なので。儀礼自体がもともと複雑で手順と時間を要するものだったり、規模を大きくしようとすればコストがすごくかかりますよね。そうすると、時代とともに、ある捧げ物はほかのものでも代替できるし、時間も短縮できるという流れになっていきます。それは中世インドの大きな社会変化に関わっているんですが、結局はコスパの問題があって、儀礼のなかで代替できるものは、どんどん瞑想に置き換わっていくっていう。よく尋ねられるのは、「密教って一体何ですか?」っていうものですけど、10世紀頃のラトナーカラシャーンティによればショートカットウェイ、つまり捷径だって言うんですよね。従来の教えでは悟りに到達するのにとてつもなく長い期間がかかるけど、密教っていうのは、我々が生きてるうちで、まさしく今生で、輪廻を繰り返さなくても悟れるっていう。最短でいけるっていう意味だと、さっき言った量的なものと時間的なものっていうのに、関係してるのかなっていうイメージがありますよね。
(司会) マニ車もそれに通じるところがありますね。
(菊谷) そうですね。まさしく時間と労力を短縮できる装置ですよね。そのままだと長い時間をかけて一行づつ詠唱しなきゃならないものを一瞬でクルクルっと。
(小川) あれも最適化ですかね。
(菊谷) そうですね。時間と労力。