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(細) しばらく前に、廣重徹さんの『科学の社会史』っていうのを読んだんですよ3。すごいショックでした。近代科学が生まれたきっかけが、第一次世界大戦でプロイセンがすごい頑張って、結果として負けましたけど、“なんでこんなすごいんや”っていうのをイギリスのほうが考えたとき、向こうがカリキュラムを組んで教えて軍を統制してると。 そして“これはすごい”となって、国が科学を支える仕組みができたということです。まあざっくり言うとそんな感じで。そのあとで日本の話に入ってくると、国力を欧米並にするためにまず1個、東大を作りましょうとなった。 そしてもう1個ぐらいそれに対抗する大学を作りましょうって話が挙がったけど、お金がなかった。それでも結局、 お金ができたのは何かっていうと、
(江間) 日清戦争。
(細) 日清戦争の賠償金だったらしいですね。そのあとには東北大が北大と合同するような形で作られた。そのときに原資になったのが、足尾鉱毒事件でたたかれてた古河財閥が社会貢献による償いという意味合いでだした拠金とのことです。国とか学問とかの根っこを見ていくと、みんなすっごいどろどろしてて、“あ、軍事すごい大事”とうことに気づかされました。
(江間) こういったこと、結構知らないですよね。私も日清戦争の話は“京大にいるなら知っておくべきやで”って言われて“、へえっ”て思って覚えてたんです。 ある意味では“裏話”って済まされるかもしれないけれども、ちょっと遠かった日清戦争が近く感じられたりだとか、 そういうきっかけになります。そこでそれに興味を持って、じゃあ“何でその賠償金が大学作るのに使われるんだ”って考える。“賠償金以外に大学を作る資金はあったのか”とかね。
(司会) 少なくともその当時は、大学を作るっていうのは、より強大な国家を作るのに資すると思われていたんですね。
(細) それがすべてだったんでしょうね。
(江間) 富国強兵とか。
(藤井) だから、日本の大学は工学部が非常に強い。
(細) 阪大はなにわの商人が工業を振興するためにっていうので作られたんですよね。それだから今でも特に工学部がすごく強い。
(江間) 科学とか技術とか大学とか、これらは表面的に歴史と無関係のようだけど、実はそうじゃない。大学の研究者は、その後ろにあるどろどろが大事だと知っておくべきかどうか。そんなの知らなくたって研究できるもんって言う人もいるだろうけれど。
(細) でもそれを知らなかったら、基礎科学という崇高なものに国がお金を出すのは当然だみたいに思ってしまうじゃないですか。“とんでもない、それは二次的なものやった”っていうことがわかったりします。
(司会) でもそれを理解していない人がピュアな科学者として成功する場合だって、ありうるし、あってもいいと思いませんか。
(細) 個人の成功はそうですけど、それでは国を納得させるとか、国民に納得してもらえるときにはそのロジックは弱いですよね。現状、自分はこれでうまくやってきたんやから、このままでいいだろうっていうのは通らないでしょう。必然的に右肩上がりと全然あかんところとが出てくるわけですよね。そのときに知恵がある人はやっぱり過去を知ってる人間やと思うんです。“このまんまやったらここまでは落ちるだろう”とか、“おまえ、死なないなんて思ってるんじゃないやろな”みたいな(笑)。
(一同) (笑)
(江間) 一方で大学っていうのは、アカデミアの自治っていうところから生まれてきた流れもあるわけですよね。自分たちでやることを決めるし、やりたいことをやるっていう、そういうのが尊重されるわけですよね。だから、お金を削減するぞっていうと、海外の大学は平気でストライキとかする。そういう権利が伝統的にあるということを理解しているわけですよね。その二つが結構ごっちゃになってる気がしていて。
(藤井) アカデミアの自治ということが、 大学人の理想としてはあるけれども、制度としてはきちんと整備されてないっていう面はあるんじゃないですか。
(江間) 歴史的な理念やしがらみ、それに加えて現実の制度とかが複雑に絡んでいるので、アカデミアと社会を考えるときには、複数の視点で見ると面白い。
(細) 輸入されてきた制度などは、その土地でのコンセンサスが得られていないですよね。大学では、アカデミアの自治は当然というふうに思われてても、国ではそう思ってない。今はそのズレがいろんなところで噴出してるんでしょうね。
(藤井) 日本の大学の歴史的経緯っていうのは、今後の大学政策の中でも重要になってくるんじゃないかなと思います。政府や文科省の一部の人たちが、 エリートとは何かみたいなことをまた新たに考え始めてるような気がします。