応募書類の受付は4月26日13時に締め切りました。
書類の受諾状況は、5月中旬頃に応募者登録サイトに表示されます。
"Application forms were closed at 13:00 on 26 April.
The acceptance status of documents will be displayed on the registration website around mid-May."
| ENGLISH |
(江間) 最初の話題に関わりますが、“文学が役に立たない”って思われるのが問題なんじゃないかなあ。学問の価値について、それが“実践的であるか” とか、“すぐ役に立つか”を求められるわけですよね。ちょっと前に言われた G型L型大学2 の話で、文科系はシェイクスピア研究や文学研究じゃなくて、 観光地の案内ができるという即戦力を身に着けるべきだという議論がありましたけど、シェイクスピアをやることだっていいじゃないですか、別に(笑)。
(花田) よき人間関係を築くために。
(藤井) それだったらいいんじゃないですか。例えば“感情を学びましょう” とか“人の感情はどうやって生まれてるのか”って。一つの説明原理はもちろん脳科学だろうけども、その現象を理解するって意味では、例えばシェイクスピアがすごく大事で、恨むっていう感情は、現代の僕たちが人を恨むっていう感情と、例えば中近世のイギリス人の恨むっていう感情はどう違うのかと。そういう違いを理解することによって、自分たちの恨むっていう感情をより理解できるでしょ?
(花田) それもありますね。何か毎日がちょっと楽しくなります。
(江間) だから、それを役に立たないっていうふうに言っちゃうからよくない。
(司会) ものすごいハードボイルドな意見として、人文学こそが人間の価値の根幹を作っているのだとみるのはどうでしょう。
(花田) ま、そこまでは言わんけど。
(一同) (笑)
(司会) いや、違うんですよ。価値の根幹を作るというのは、どの学問にどういうリソースを配分するのか、あるいは日本っていうもののミッションをどこに定義するのかということを決めるための、基本的な問題を考える装置としての機能も、人文学にはあると思うんです。
(藤井) 人文学にはそのメタな価値観を決める機能があると思います。最近、山極総長の就任インタビュー記事が出ていて、“いろんな学問大事ですよね”と言われていました。優しい方だからそう言ってくださるんだと思うんだけども、 例えば“ラテン語とかできたら、すごく面白いじゃないですか”と言われているんです。わかんないことやってるのが大学だから、そこから何が出てくるかわからないけど、“やることが大事なんだ”みたいな考え方もあると思います。 でも実はそれに加えて、人文学ってもっとラディカルだし、何か人間の価値観とか、生きていく意義とか…
(花田) そんなに肩肘張らないでもいいと思うんですよ。
(藤井) いやいや、人文学には積極的な存在理由がありますよ。
(花田) 僕ら本屋さんに行って、例えばローマの歴史の本とか買えるわけですよ。でもそれは、それをちゃんと原典で読める人たちがいるからこそ僕らに回ってくるわけですよ。岩波の本とかで、ちゃんと“原典から訳しました” みたいのが、日本だったら手に入るわけですよ。
(藤井) だからその岩波の日本語版から得られるものは、ちょっと楽しい人生のスパイスなのか、そうじゃなくてメインディッシュそのものなのかと言うことです。
(花田) そういうのが手に入るのは、そういうハードボイルドの人たちがいるおかげなんですよね。
(藤井) いやいや、その手に入るのはわかります。それを楽しいと思う世界があるのもわかるけども、それがあなたの人生のスパイスにすぎないのか、それとも人生に不可欠なものなのかって話なんです、要はね。
(花田) スパイスのない人生は、あり得ないでしょうね。
(江間) 日本の政策は、理科系が中心で、 科学とか技術とかが先導してるようにみえる。でもその一方で、プライバシーの問題、安全安心の問題、倫理の問題などがあるわけですよね。そういう中で、文科系の人達に倫理審査委員に入ってもらって、手続き論的あるいは道具的にかかわるだけでよしとするのか。 むしろそうではなくて、どのような生命観があるのかとか、昔の思想と比較するとどういうことが言えるのかを論じながら、人文社会学者が理系研究者と対等に、あるいはむしろリードするかたちでかかわるべきだという意見もあって、どう互いにかかわっていくのかを人文学も意識的に考えなければならない時期になっているのでしょうね。