シリーズ白眉対談03 医学(2012)

ブータンと日本の医療

(司会) それでは坂本さんへの質問なんですが、先日ブータンのことがテレビで放送されていました。海外の医療チームが入って、これまでは助産師さんが取り上げていたところを、トラブルがあった場合に母子の命が危険であるので、最近は病院での出産を勧めるようにしている。でも、もしかするとそれがブータンの文化的なものの破壊へとつながるのではないかという危惧を感じました。日本でも病院での出産が一般化していますが、その反面、「家」への愛着が薄くなっているのではないかと思います。 ブータンでも同じようなことが起こってしまうんじゃないでしょうか?

ブータン、車道から歩いて6 時間かかるサクテンという村

(坂本) 僕もブータンが大好きでこの研究をしています。独りよがりの善意でこれを勧めて、手をつけてはいけないブータンの良さを破壊してしまうという心配はしています。でも病院と家での出産では安全性が全然違うし、場合によってはそれで死んじゃうわけです。それは日本もブータンも同じで、そのリスクを考えるとブータン人自身も病院を望みますね。情報を渡すけど、強制するわけではないんで。病院の方が安全ですよ、という情報を渡して、ブータン人がそれを選んでいます。
(司会) 日本でも家で出産したいという人もいますが、それに対するサポートはあるんでしょうか? ブータンでも伝統的な出産を残しつつ、それに対するサポートも受けられればと思うんですけど。
(坂本) ブータンの村は山奥にあるんですよ。この前僕が行ってた村だと道路があるところまで 9 時間かかるわけです。もし赤ちゃんが合併症を持ってたら、医療スタッフがたどり着く前に死んじゃう。ヘリコプターで待機させたりというのは今のブータンでは現実的ではないので、あらかじめ病院の方を薦めるべきだと僕は思いますね。僕も赤ちゃんが死んでしまうという現場に立ち会ったことがありますので。京都だと何かあったら 7 分くらいで救急車も来てくれますが、ブータンだとそうはいかないわけですよ。でも、そこで子どもの運命を選択するのは親なので、それはもう、家が良いと言ったらそれに従うしかない。僕らにできるのはとことん自分の意見を説明して、村の長老も呼んできて話し合って、彼らの決断を待たないといけないということです。
(司会) 坂本さんは今はブータンですけど、その後どこか他の土地というのは考えていますか?
(坂本) やっぱり日本ですね。
(司会) ブータンで学んだことを、日本に活かせる可能性はあるんでしょうか?
(坂本) あると思いますね。やっぱりブータンはほんと予算がないですよね。でもやるとしたら 100%やろうとするんですよ。日本でたとえば、検診が有効です、ていって、やっても来ないじゃないですか、全然。ブータンは、政府がやろう、有効だ、って言ったらけっこうすごい参加してくれるんですよ。そういう部分について日本はまだまだしっかり学ぶ必要がある。 先端医療も大事なんだけど、そういう基本的な、いまある知識で有効なことをしっかりやるのが重要なんじゃないかと思う。
(後藤) 僕はがん検診の研究していたことがあって、日本って住民検診の受診率低いといわれてるじゃないですか。でも、きっちり計れていないからっていう可能性がある。がん検診の受診率は二つデータがあって、市町村の検診の受診率、これ低いんですよ。 もう一つは、国民生活基礎調査というサンプル調査で聞いてる。けっこう数値が違うんです。日本では公共の検診もあるし、人間ドックみたいな自分で行く検診もある。さらには企業がやってる検診もある。いろんな選択肢をどれぐらい受けてるかのデータって皆無なんですよ。一方で韓国などでは、保険者が一元化されて統一的に行われている。
(楯谷) 一元化ってやっぱ難しいんですよね。
(後藤) 韓国では、もともと健康保険は公団としてやってたんですよ。これ役所じゃないんですよ。日本では、 国民健康保険は役所がやってる。一方、企業の健康保険は組合っていう、 公団に似た役所じゃないところがやってる。役所じゃないところが固まるのはけっこう楽なんだけど、役所と役所じゃないところが固まるのはかなり難しいと言われています。さらに、 もともと韓国は 200 ぐらいだったんだけど、日本は何千とある。
(坂本) なんか日本の医療システム、 複雑ですよね。それはそれで良さがあると思うんですけどシンプルにできるところはもっとシンプルに……。
(楯谷) 保険料の決まり方もよくわからないですよね。けっこう、国民健康保険高かったなあと思うんやけど。
(後藤) あれも法律できっちり決まってるんでね。
(楯谷) あれは一元化したらダメなんかな。
(後藤) それは時間がかかるでしょうが、将来的には一元化すればいいと思います。

医者という職業

(司会) 最後にお聞きしたいのですが、 おそらく医者という肩書は社会において人々から持ち上げられちやほやされる職業ではないかと思うんです。 そうした中で皆さんが謙虚さのようなものを失わないためにどのような心構えをされているんでしょうか。

(後藤) 医者をちやほやする理由は二つあって、一つは、僕は一応経済学者なので……単純にちやほやする側が得だからなんですよ。それ以上でもそれ以下でもない。ちやほやされる側が偉いとか偉くないとかいう問題ではない。それが前提だと思うんですよ。もう一つは、死を前に客観的にそれに向き合うというか、人の生死に関わる大変さを乗り越えて治療してくれる人の、なんとなくの神々しさを一人ひとりの臨床医が持ってることじゃないかなと思いますね。それを人々が感じ取って、医療の本当の価値をわかって尊敬している、これは「いいちやほや」だと思います。「大変ですが、素晴らしいお仕事ですね」「まあそれほどでも」という感じで。もし「変なちやほや」がなくなっても、この尊敬だけは残る職業なのかなあ。
(楯谷) そうであってほしいですね。
(坂本) 僕は元同僚というか、医者を含めた病院のスタッフを尊敬してます。まあ、楽なことをしてお金儲けてる人もいるけど、僕の友達とかはみんな金儲けじゃなく命を守るためにやってるし、それで朝から晩までずうっとやってるわけですよね。同僚同士で愚痴を言いあったりとかはしてるけど、基本的には患者さんのためにと思ってみんなやってるわけじゃないですか。で、時給に換算したらほんとに安くても、ずっと働いている人がいっぱいいる。僕はいま日本で臨床医としての仕事はそんなにしてないけど、一生懸命がんばっている友人達を尊敬してます。
(後藤) 一本の注射をシュッて入れたら患者さんがパッとよくなるっていうことがあるっていうのはすごいですよね。救急とかそうでしょ。
(坂本) そうですね。だからブータンで本当に感謝されるとうれしいですよね。注射一本で治って感謝されたり、抗生剤パッと出して一日でスキッと良くなったりするとうれしいですよね。
(後藤) 感謝されるっていうことは研究者やってるよりは多いでしょうね。
(楯谷) 私は、常勤の臨床医としての経験が 5 年間だけなので、まだ駆け出しと思ってました。それでも患者さんに感謝されることもありましたけど、一生懸命やってもうまくいかない人もいますしね。まだまだやなと思うことが多くて。先日テレビ見てたら、 天ぷら職人の名人がプロフェッショナルとは ? って聞かれて、「うまいねって言われたら、そうやって作りました、 と。それがプロ。出来上がりも始まる前からわかっている」みたいなこと答えてて、かっこよすぎると思って。 そういう風に、患者さんがよくなったら、そのようにしました、みたいなそういう感じの外科医になりたいなとずっと思ってたんで。そういう意味ではまだまだやなっていうのはあって、 あんまりプライドっていうところまでいかなかったですね。今もそういう意味ではプライドなくて。逆に、研究って、そのようにしました、じゃないですよね。出来上がりがどうなるかわからないじゃないですか。少なくとも私なんかは、永遠のアマチュアみたいな感じやなあと。新しいことやろうと思ったらやっぱり知らないことばかりやし、誰かに習ったり試行錯誤したりが必要やし。研究者としてのプロってなんやろ、どっちにしろまだまだやな、と思いつつやってる感じです。
(司会) 三人三様の答えが出ました。 人の死に直面しながらも絶望せずそれを乗り越えて救命を目指す責任感。 研究に関して未知の領域があって、 自分が関わっているのはまさにそういった領域であることを認識する謙虚さ。そして日夜医療行為に励む同僚たちへのリスペクト。こうした思いがあることによってバランスを取ることができるんですね。ありがたい話を聞かせていただきました。

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