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(司会) 今みたいなお話を聞いていると、僕はそれなりの憧れを感じるから、社会的な価値はあるかなと。
(西村) これはちょっと下世話な表現ですけど、やっぱり人文学はある程度のブランドカっていうのがないと、なかなかもたない分野じやないかなという気がするんですよね。アメリカだとギリシア・ローマ研究はかなりブランドカを持ってて、相当な額の寄付金が古代地中海文化に憧れを持つ資産家などからあったりするらしいんですけども、そういったことっていうのは、いやらしくやる必要はないんですけど、人文学や芸術がパトロンに支えられてきたという歴史はやっぱり紛れもない事実だと思うんですよね。今はある種の規制緩和の波に飲まれてしまってて、自由競争時代と言いますかね。なので、人文学がその価値の構築を、広く大衆・国民に広げていこうとする動きっていうのは、むしろパトロン離れにつながっていて、ある種のパラドックスを引き起こしてると思うんですよね。で、今さら知識を特権化するっていうのも時代の流れに反してるんで、そこはもうオープンにやっていく必要があると思うんですけど、そうなると今度はやっぱり、さっき中西さんがおっしゃったように、「人文学なんか役に立たん!」みたいな発言が出てきたりする、そういう苦しさに直面することがあると思うんですよね。これも人文学がどうやって生き延びていくかっていうのを考えるーつの問題点でしょうね。人文学に憧れを持ってくれる人がもっとたくさん出てきてくれたらいいんですけどね。
(中西) その、すみません、ギリシャ・ローマヘの憧れを持ってる資産家の人たちの動機っていうのは、やっぱり自分たちのルーツに興味があるんですか。
(西村) 文化的な背景っていうのに…。
(中西) だから人気がある。
(西村) 恐らく。しかも、ギリシャ・ローマっていうとある種文化の最盛期の象徴みたいなもんですから、過去にそういった時代があったっていうのは、現代人にとって、―つの誇りになると思うんですよね。
(志田) 司会の方が先ほどおっしゃった「人文学への憧れ」というものの中身をもう少し具体的にいうと、どんな感じでしょうか?
(司会) 憧れって、他人に見せびらかすためにブランドの商品買うというんじゃなくて、私にはできないことができる人たちだという認識があるんですよ。
(西村) ありがたいですね。
(司会) 自分にできそうにないことをやってる人は、自分が使うことがなかったとしても、いるだけで価値があると。
(志田) 中身はわからないけれども、何か本質的な営み、きっと無駄ではない何かをおそらくしてるんだろうっていう推測になるのでしょうか?
(司会) 自分がとてもじゃないけどやろうと思わないっていうことが、一応その1人の人が勝手に理解していると考えてるわけじゃなくて、複数の人がそれなりに学会を形成してやっている。学会の中でコミュニケーションができていて、お互いに理解し合っているっていうことは、まあ何かあるわけですよね。そこには。
(中西) 役に立つ立たないを越えた、価値があるんでしょうね。そもそも大学って、極端な話、社会の役に立たない知を純粋培養するところがありますよね。大学の外では、役に立つか立たないかで淘汰が始まるけれども、大学の中では、そういうのを超越したところで、とにかく誰も知らないようなことを、それこそ象牙の塔の中でこつこつやってる、そしてそういうことに価値を認めています。
(司会) それはそれで何%かはあっていいかなと思うんですけどね。
(西村) ある研究分野を発展させていくっていうことを目的にするんであれば、その分野に入ってくる人たちの数を増やす、少なくともコンスタントに保つことが大事だと思うんですけども、やっぱり分野によっては、衰退傾向はあるんですよね。どうしても学生がその道に入ってくれない。そうするとその分野の先生が辞めたりしたあとには、別の人気がある分野で人事を行うっていうこともあると思うんですよ。
(中西) 現実に大学は学生集めないといけないので、やっぱそうなっちゃうんでしょうね。
(司会) 例えば大学院生が、5年でゼロとかですね。そういう研究分野は、なくならないとしょうがないということなのかもしれません。それ誰にもわからない。(一同)(笑)
(司会) 僕もわからない、誰もわからない。 100年経っても、やっぱ誰もわからない。それはちょっとまずいかなと。
(西村) 確かにね。もちろん、わかる人が複数いて、っていう状況があれば確かにある程度の価値は保証されるとは思うんですけども、仮にそういう分野がたくさんあったりすると、それぞれの分野にそれぞれのポストがあればいいんですけども、ポストにはやっぱり限りがあるんで、そうすると、勢力次第、あるいは将来性ですよね。だからその群雄割拠の中で勝ち抜いていく必要もあるんで、そうすると、流れに任してだけおくと、もう本当にどっかに流されてしまう…。
(志田) 声の大きい人たちが勝っちゃうかもしれませんね。(一同)(笑)
(西村) 確かに。中西さんがやってらっしゃることって、ちょっと特殊だと思うんですけど、存亡という点では、むしろ独自性で押していける感じがしますね。
(中西) そうですよね。ニッチ産業っていうやつですよね。(一同)(笑)
(中西) 誰もやっていないところに新しい産業生み出していくっていう。でも、それって、今の群雄割拠理論でいくとなかなかつらいところがあります。
(西村) でも、中西さんがやってらっしゃることって、さっきもちょっと話題に出た、ある種、異分野融合的な要素っていうのは、相当あるんじゃないです?
(中西) そうですね。まあ歴史学の範囲内ですけれども、比較的割れているものを統合しようとしているところはありますね。
(西村) ということは、割と時代の流れには沿っている。
(中西) ただ、まあ世知辛い話になっちゃうんですけど実際問題として、大学は学生を集めないといけない。そこで例えば、中国イスラムみたいに、マイナーなくせに、漢語とアラビア語をともにやらないと成立しない、奇矯な学問を提供されても、学生は寄り着かないんじゃないでしょうか。それよりも、中国学なら中国学、イスラム学ならイスラム学、それぞれを深くしっかり学べる、王道的な学問のほうが、学生にとっては魅力的かもしれません。だから分野横断、確かに結構、研究者レベルでは言うんですけど、じゃあそういう分野横断的な講座みたいなのを設けようかって話にはなかなかならないんじゃないですかね。
(西村) 大学にはそういうポストとか研究所なり学部なりっていうのを、僕は積極的に作ってほしいんですけどね。もちろん研究者同士が個人個人交流の意思を持ってさえいれば問題ないのかもしれないんですけども、やっぱりそれぞれの分野で新しい成果を出すのが難しくなってきてるんで、それにエネルギーを集中させている状況だと、当然交流しにくくなると思うんで、研究者それぞれの生き方の問題にもなってきますけど、僕は制度として交流するっていう選択肢を、ある程度確保する必要はやっぱあるんじやないかなと思うんです。
(中西) 白眉プロジェクトはそういう意味ではすごくよかったんですよね。分野横断を積極的に推奨しているので。
(西村) 僕も、白眉プロジェクトに入るまでは、自分は一生言語学のことだけやっていくんだろうなと思ってましたけど、今は視野を広げていかないといけないという気持ちが強いですね。なので今自分が文化的なテーマにも関心を伸ばしているっていうことは、3年くらい前にはあまり予想していなかったですね。見方によっては、あいつは雑食になったって言われるかもしれないけども、僕はそういう生き方もありじゃないかなと思うんですよね。
(志田) ただし、専門領域である純粋な言語学の分野では、今までの研究の水準を維持した上でのプラスアルファという感じですもんね。
(西村) もちろん、そこは自分の能力と時間との兼ね合いってことになってくるんで、あいつは中途半端なことしかしていないっていうような批判を受ける可能性はもちろんありますよね。でもそこはまあ覚悟の問題じやないかっていう気がするんです。やはり蛸壷化は避けたいものですね。
(中西) 自分の蛸壷にある程度は身を沈めて閉じこもるにしても、今までの方法論に閉じこもった、送りバント的な安全策ばかりで行くのではなく、たまにはちょっと冒険して大きく振ることを恐れないでいたいですね。
(西村) まずはみんなで素振りから始めましょう。(一同)(笑)