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クリシュナ神というヒンドゥー教の神様について研究しています。日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、南アジア文化圏ではとても人気のある神様です。ポスター等でよく描かれているクリシュナは横笛を持って立ち、牛と戯れている少年の姿です。
どうしてこの神様のことを研究するようになったのか。中高時代に経験した阪神大震災とインド訪問がきっかけで、生きることの意味を知りたいと思いました。究極の真実について教えてくれるのは宗教か哲学だと思ったので、学部時代は宗教学を専攻。分厚い神学書とにらめっこし、あるいは禅の本を読み、真理とは誠に深遠なりと眉間に皺を寄せる日々でした。
そんな中、クリシュナ信仰について知ったのは三回生でアメリカに留学している時。一般的に「神」というと、(その存在を受け入れるかどうかは別としても)全知全能、恐れ多い、いと高きお方、というように距離感があると思います。ところがクリシュナはやんちゃな牛飼い少年で、友達と悪戯してお母さんに怒られたり、笛を奏でて女の子と踊ったりする。その意外さに魅了されたのが今の研究の始まりです。
南アジアには「バクティ」という思想があり、日本語では「信愛」等と訳されます。「神に対する愛情を育むことで解脱が得られる」という考え方です。クリシュナ信仰もこのバクティ思想の中に位置づけられますが、僕が研究しているベンガル派では、神と信者の関係を恋愛関係になぞらえるのが特徴です。乙女が若者に惚れるように、信者は神に熱烈な愛情を抱くことが理想とされます。
「神に対する情熱」を追求した結果、ベンガル派は神と信者の関係を不倫関係になぞらえて捉えるようになります。インド古典文学の伝統によると、クリシュナ神は地上に降誕し、様々な遊戯を繰り広げるわけですが、そこで彼に恋をする女性達の一部は既婚者ということになっています。夫以外の男性に思いを募らせる背徳。禁断の果実であるが故に恋愛感情がより燃え上がり、その状態こそが最も素晴らしいという思想です。
この考え方は、より激しい感情を求めるという視点から見るとある程度理解できると思います。しかし一般的な倫理の視点から見ると明らかに問題があり、16世紀に成立して以来今日に至るまでベンガル派の思想は様々な批判を受けてきました。これに対してベンガル派の思想家達がどのような対応をしてきたのか、というのが現在の研究の焦点です。
写本収集で訪れたインド、アルヴァールで。
具体的には、ベンガル派思想家によって書かれたサンスクリット語の文献を翻訳するのが主な仕事です。訳した上で歴史的な背景考察、他学派との比較等を通して内容を分析し、論文を書きます。ただし近代以前の文献は出版されている物が信頼出来るとは限らないので、翻訳する前に写本を集め、テキストを校訂する作業を行います。
校訂とは?たとえばある食堂で起った火災が次のように報道されました。「幸い火は天丼を焼いただけですんだ。」何か変ですね。これは「天井」の間違いです。近代以前の文献は手書きで写されていたので、このような間違いがたくさん含まれています。従って、写本を比較し、間違いを取り除く作業が校訂です。何本もの写本と比べて一字一句の違いを記録するのですが、根気のいる地道な作業です。
そして校訂の前段階としての写本収集。インドではこれが一筋縄では行きません。去年ジョドプールの研究所を訪問した際、学生証が無ければ写本を見せられないと言われ、ポスドクなので学生証は無い、と言っても取り合ってもらえませんでした。困ったなあと思っていると、突然「サンスクリットで歌えるか」と聞いて来る。そこでクリシュナ神についての歌を歌うともう大喜び。急に態度が変わり、すぐに写本を用意してくれました。やはりクリシュナ神は人気があるんだなと実感した瞬間でした。
(おきた きよかず)