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心地よいと感じる音楽や面白いと思う映画は人それぞれである一方で、ヘビやクモの写真をいきなり見せられると(多くの人は)共通に恐怖感を覚える。人それぞれ個性や性格がある一方で、人間の脳のCT写真やMRI写真を見るとだいたい同じように目に映る。世の中には本当に色んな人がいると日々感じる一方で、人間の思考や行動を制御する脳が、みな同じ構造を持っている事はある意味驚きである。私が実験で使用しているマウスというげっ歯類でも、個体によって性格がある。しかし、脳を解剖してみると、ちょっと拡大して見るぐらいではすべて同じに見える。実験動物や人の個体間の個性や性格の違いは、脳のどのような違いによって生み出されるのか?について日々考えされるとともに、すべての人・動物が共通に持つ脳の設計図の正確さに驚かされる。実験室で世代を超えて飼育・繁殖されているマウスは、生まれてから一度も天敵に襲われた事もないし、見た事もないはずである。それでも、マウスはヘビの模型やキツネの匂いに対して先天的な恐怖応答を示す。つまり、天敵が本能的に怖いという情報や、天敵に対する防御反応でさえも、脳の設計図に組み込まれており、脳の発達とともに生まれながらに付加されていると考えられる。これは驚くべき事であると思う。また、脳は病気にもなる。アルツハイマー病など脳を構成する神経細胞が脱落する病気や様々な精神疾患がある。これらの脳の病気において、共通に表出してくる典型的な症状は存在するので、年をとってから発症するような脳の病気さえも、脳の設計図にあらかじめプログラムされているのではないか?とさえ感じさせられる。その反面、一卵性双生児であっても全然達う性格をしている事もあるし、喫煙習慣の有無によって脳の病気になったりならなかったりする事も知られている。
私はマウスを用いて、哺乳類の脳の設計図のしくみと、脳の可塑性について研究を行っている。具体的にはマウス胎児脳における神経幹細胞やニューロン・グリア細胞の分化制御機構と、生後脳・成体脳におけるニューロン新生という現象に着目して研究を行っている。
すぺてのマウスが共通の脳の構造を発生させ、我々が無意識に行っている体温や呼吸の調節、睡眠のコントロールなどを行う為には、脳の中でニューロンが充分に産生され、神経回路が正確に配線される必要がある。胎児脳における発生過程において、必要な時・場所で、必要な種類のニューロンが産生されるためのメカニズムは、脳の設計図の中でも重要な要素である。私たちは各種遺伝子の発現をコントロールする、転写因子というたんぱく質に特に着目して研究を行っている。近年、これらの転写因子が振動的に発現するというストラテジーを採用する事によって、複雑精緻な脳を発生させる事が分かってきた。極めて厳密な発生が要求される脳において、その設計図はたんぱく質の振動とその乱れを積極的に利用している事には驚きを感じている。
マウス嗅球の新生ニューロン
また、古くから哺乳類の脳神経系を構成するニューロンは、胎児期に産生され、大人になってからは新しくは産生されないし、再生能力はないと信じられてきた。しかし、脳の中の記憶を司る海馬や、匂い情報処理の一次中枢である嗅球においては、生後や成体脳においても継続的にニューロンが産生され、神経回路に組み込まれ続ける事が明らかになってきた。脳の発生は大人になってからも引き続いて起こっているととらえる事もできる。この脳を構成するニューロンが日々の生活の中で時々刻々と入れ替るという現象は、脳が持つ可塑性の最も極端なケースであると思われる。私たちはこの成体脳ニューロン新生が記憶や匂い情報処理等の高次脳機能に積極的に関与している事を明らかにしてきた。また、最近では、生後から大人になるまでのニューロン新生の破綻と精神疾患との関与についても研究を進めている。
神経変性疾患においては、予防と早期発見が重要なのは言うまでもないが、ニューロン新生を応用する事で、失われつつある神経回路を維持・再編できないか?という試みもなされている。私の研究拠点はウイルス研究所であるが、2013年4月から医学研究科メディカルイノベーションセンターにて、創薬研究を行う研究グループを立ち上げる事ができた(SKプロジェクト)。
白眉プロジェクトにいると、本当に色んな研究者に出会い、多様な研究スタイルに接する事ができる。今後も白眉の活動を通して、自分の脳研究を違った角度から眺める事を楽しみにしている。
(いまよし いたる)