田中 祐理子 (2024)

2018年10月1日~ 2021年3月31日 在籍
→ 2021年4月1日~現在 神戸大学大学院国際文化学研究科

 コロナ・パンデミックのさなかに異動し、4 年目になりました。神戸・六甲山の中腹から遠くに港を臨む職場で、神大マスコットの「うりぼー」と仲良く過ごしています。とはいえ最初の二年はリモート勤務が中心で、生身の学生や同僚と触れ合う生活は、昨年から本格化したばかり。長く研究部局で過ごしてきたので、学生のいる環境での教育・行政業務に、遅ればせながらあくせく取り組んでいます。ふり返れば院生時代以来、研究者ばかりに取り囲まれてきたのですが、この段階でわが子のような年齢の学生たちに教えることが本務になったのはとてもよかった、と感じています。自分なりに学んだり考えたりしてきたことのほとんどが、私の親しんできた言葉遣いでは、若い彼ら・彼女らには届きません。数十年の間、私が読んできた本や聞いてきた言葉について、どんな形にすればその面白さに興味を持ってもらえるかな?と、基本的に「つまらん」という顔をされる教室での時間はつらいですが、人間の思想と歴史を勉強してきた者としては、それらの言葉や文献の存在を少しでも次の世代の人間たちに知ってもらって、それが忘れ去られてしまわないようにと願いながら働けるのは嬉しいことです(いえ、あの「つまらん」の顔を見るのは本当に心折れるのですが…)。

 人文研究者の「日常」は、最高に好調でも机に向かって文字を打ってるだけという地味な絵面なので、白眉センターで私が体験した「へえ~」や「おお~」という興奮をこの機会にご提供できず申し訳ない思いです。本来の予定では今ごろ本が一冊出版されて、これを宣伝したかったのですが間に合わず。私は科学史と哲学が専門で、白眉センターでは特に20 世紀初頭の原子物理学史を研究していました(映画『オッペンハイマー』の世界です)。今はそこから少し脱線して、大戦期の哲学者の本を書いています。コロナ・パニックの時も驚きましたが、ウクライナでもガザでも、歴史研究者から見ると再現する必要など全くないはずの既視感のある出来事が起こっています。過去に生きていた人間の体験や知恵を、どうしたら少しでも生かせるのだろう。おせっかい老婆の心持ちで、もがいております。