夜にも奇妙な研究現場 (東島 沙弥佳/2024)
これまで私が訪れた研究施設やその周辺には、「出る」とまことしやかに囁かれる場所がいくつかあった。たとえば、東海地方にある某生物学の研究所に所用で伺ったときのこと。懇親会もあるので、その日は研究所の近くにあるホテルに一泊することにした。そこは老夫婦が経営されている小規模なホテルだった。どことなく昭和の香りがするのに加え、館内は全体的に薄暗い。さらに印象的だったのは、不思議なほど館内にものが多い点だった。そこかしこに謎の人形や置物がずらりと飾られているのである。変わった趣味だなあ、と正直思った。でも、旅先で謎のものを買ってしまうという癖は私にもある。だから特段気にも留めなかった。飲み会を経てホテルに帰ると何事もなく夜を過ごし、朝ごはんを食べ、翌日にまた研究所を訪れた。その朝、知り合いの口から出たのは予想外の一言だった。
「昨日は大丈夫でしたか?」この言葉に、私の脳は一旦フリーズする。昨夜は泥酔した覚えもない。それなのに、なぜ私は心配されているのだろうか。もしや何か大失態をしでかしたのだろうか。覚えがない、というのは単に覚えていないだけなのかもしれない。私、なにか致しましたでしょうか、とおそるおそる尋ねてみると、彼は笑いながら首を横に振る。そして、こう続けたのだった。
「あのホテルは『出る』んです。何もなかったですか?」と。だがどんなに思い返してみても、私のところに出てきたのは美味しい朝食だけだった。お化け側にしてみれば、なんとも甲斐のない客である。
これまでのところ私は終始このような調子で、お化けとの出会いを回避してきている。サルやコアラやヒトを解剖させていただいたり、実験動物たちに日々お世話になってはいるが、彼らが夢枕に立ったことはない。そもそも彼らが夢に出てきたとて、再会の喜びを感じはしても怖いという気持ちは一切湧いてこない。だからこそ、うまくお付き合いできているのかもしれない。
ただ、一度だけ不思議な経験したことがある。あれは京都大学某所の研究室にて、骨の計測をしていた時。先方のご厚意で遅い時間まで作業させていただいた日のことだった。建物の中はすでにしんと静まりかえっていて、人間はおろか生物の気配などない。骨標本の収蔵室は細長い構造をしていて、奥に標本庫、手前に作業用のデスクがある。節電が叫ばれる昨今のこと、私は標本庫側の電気を消して作業を続けていた。いつものように、わくわくと骨を測って時間が過ぎていく。そんな中、なんの前触れもなく事件はおきた。
がたがた、がたがたがたっ!
と、突如標本庫の方から大きな音がしたのである。地震ではない。当然、誰かが入ってきたわけでもなかった。もしかして標本になにか起きたのではないか。私は慌てて、標本庫側へと向かい、部屋の電気をつけた。だが、そこには先ほどまでと全くと変わらぬ標本たちが、ひっそりと並んでいるだけだったのだ。
標本になにもなくてよかった。私はほっと胸を撫で下ろす。なにかの聞き間違いだったのだろう。そう思って標本棚周辺の電気を再び消し、作業スペースに戻ろうと踵を返した時、
がたがたがたっ!
と、背後でまた大きな音がしたのであった。その後、再び標本庫を確認したのは言うまでもないが、音の原因はついぞ見つけることができなかった。何度思い返してみても、あの事件だけは原因がまったくわからないままである。