ガンダーラの高級娼婦像をみると東西文化交流がわかる(田辺 理/2022)
第11期 特定准教授(文学研究科)田辺 理
田辺先生の研究しているガンダーラとはいつの時代の話ですか?どこにあるのですか?

ガンダーラとは、パキスタン北部、ペシャーワル市の周辺地域をいいます。この地域は、多くの外来王朝に征服されました。前4世紀後半にアレクサンダー大王(前336-323)が、ガンダーラを短期間ながら占領した後、ギリシア系のセレウコス朝がこの地を支配しました。そして、前3 世紀にはインドのマウリヤ朝の版図となりました。その第三代のアショーカ王(前268-232)の時代に、ガンダーラに仏教が伝播しました。マウリヤ朝の衰退後、前2世紀前半から1世紀、グレコ・バクトリア朝とインド・グリーク朝のギリシア人が統治しました。やがて、中央アジアの遊牧民クシャン族がガンダーラへ進出し、1 世紀半ばから後半にかけてガンダーラと北インドを征服して、クシャン朝を樹立しました。そして、カニシカ王の治世において、クシャン朝は全盛期を迎え、ガンダーラでは仏教文化が栄え、各地に仏塔が建立され、多くの仏教彫刻が制作されました。このように、今回刊行の新著で扱うガンダーラの仏教彫刻は1世紀から4世紀に造られたものです。
田辺先生がガンダーラの研究を始めたのはなぜですか?
私は最初からガンダーラの仏教彫刻の研究や美術史研究に興味をもっていたのではなく、東西文化交流史や東西交渉史に関心を寄せていました。ガンダーラの仏教美術は、ギリシアの美術ないし帝政ローマ美術の図像と写実的技法を基盤とし、それにインド仏教美術を加味した東西文化の折衷美術です。そのため、東西文化交流史や東西交渉史の研究には「うってつけ」の美術なのです。
このような折衷美術の研究には、縦軸と横軸をもつ二面的な研究が必要となります。ガンダーラの場合は、縦軸は日本仏教美術の研究と同じく、仏教経典の内容と彫刻の図像とを比較する仏教図像学、彫刻を特徴づける表現の有様を研究する様式史、彫刻の制作年代を決定する編年論よりなります。一方、横軸は東洋と西洋の文化交流が基軸となりますので、地中海世界から西アジア、中央アジアの美術、更にガンダーラの仏教美術が東漸した中国、日本の仏教美術の比較研究からなります。このようにして、地中海世界から日本に至る広大の地域の文化、具体的にいえば「ガンダーラを中心としたシルクロードの文化」を研究できるところが、ガンダーラの仏教彫刻研究の醍醐味なのです。
今回の新刊は、ブッダ(男性)のイメージが強いガンダーラの仏教美術のなかで、女性に注目しているのが特徴とお聞きしています。なぜ女性に注目したのでしょうか?
ガンダーラの仏教彫刻研究の大家であるアルフレッド・フーシェは、その著書において、「ガンダーラの仏教彫刻に表現された女性像は、姿格好が極めて類似しているために、身分差や年齢差が殆ど見られない」と、述べています。つまり、ガンダーラの彫刻家は、女性像を用いる場合には唯一の理想的なモデルを用いて、それに様々な装身具や衣装を使い分けて身分差や年齢差を表現していたと考えられます。そこで、そのモデルとなった女性はどのような女性だったのか? という疑問が湧き、考察することにしました。ここで、ガンダーラの仏教彫刻がどのようにして成立したのか思い出してください。上述したように、ガンダーラの仏教彫刻は、ギリシアやローマ、インドの美術の影響を受けています。このような前提から、女性像のモデルも、これら三大美術の場合と同じではないかと想定したのです。そしてギリシア、ローマ、インドの美術の女性像について、モデルとなった女性について考察した結果、これらの美術においては、高級娼婦をモデルとして理想的な女性像を制作していたことが判明しました。この結果を踏まえて、ガンダーラの女性像を研究したところ、ガンダーラにおいても高級娼婦をモデルとして、王妃や王女、召使いなどと身分は異なるが、一様に美しい女性像を造形していたという結論にたどり着きました。たかが女性像と思われるかもしれませんが、されど、ガンダーラの女性像は、国際的な文化交流の賜物であるガンダーラの仏教美術の本質を、見事に体現しているのです。
