コロナ禍での海外渡航の記憶 —はじまりから現在まで— (西田愛/2023)
第11期 特定准教授(人文科学研究所) 西田愛
2020年2月19日、調査のためにインド北東部に位置するアッサム州へ向かった。インド工科大学グワハティ校の協力のもと、アッサム~東ブータンのチベット仏教寺院で調査を行うことが目的であった。日本では、ダイアモンド・プリンセス号内でのCOVID-19感染が報告され、横浜港に停泊中の船内に隔離を余儀なくされていた乗客らが、ようやく病院へ搬送されるシーンが繰り返しテレビに映されていた頃である。立ち寄った経由地のバンコクでは、すでに検温や消毒などの対応が各所に敷かれ、公共交通機関では旅行者にマスク着用を求めるなど、やや緊迫した空気が漂い始めていた。
アッサムから東ブータンへ陸路入国し、移動も調査も順調に進んだ。しかし、調査の後半から日本帰国までの1週間は、一日に数時間だけアクセスできるwifiを利用して最新の情報を入手するのに苦労した。隣国インドでは入国に関する制限がかかりはじめ、帰路のタイ-日本間のフライトとインドでの宿泊予約が取り消された。万一に備え、予定を繰り上げてインドへ再入国すると、間もなく、インド入国管理局によって日本人のビザが無効化された。インドに再入国できなければ、ブータンの国際空港所在地まで二日間の陸路行程をとり、タイへ空路移動するほかなかったと思う。新たな航空券、ビザの再取得が必要になるほか、ブータンでは一日につき200 ~ 250ドルの公定料金を支払わねばならず、余分な労力と出費を伴うところであった。こうして、慌ただしく帰国した3月初旬、日本への入国にはまだ何の制約も条件もなかった。


白眉に着任したのは翌年の1月1日のこと。最初の1年半は予定していたフィールド調査ができない状況が続いた。インド北西部に散在するチベット語岩石碑文の研究を課題としているため、フィールド調査による録文の採集は必須であるが、それができなかった。この苦境を支えてくれたのは、同地で長年現地調査を続けているフランス人考古学者の協力であった。実は、私の研究テーマは彼が近年発見し続けている岩石碑文の情報から着想を得たものであった。2019年の国際学会に同席した際、共同研究についても話し合う機会を持っていたことがうまく運び、彼が発見した岩石碑文の写真データを全て共有してくれることになった。こうして、しばらくの間は写真から録文を抽出するという予備調査に時間を費やした。
そして、2022年7月以降、さまざまな制約つきで、国際学会への参加やフィールド調査が再開できるようになった。そこからの2 ヶ月間、各国の入国管理局の対応が目まぐるしく変わる中、3回の海外渡航を実施した。入国・出国前のPCR検査、入国先ごとのアプリケーションの入手と登録など、気を張っていないとうっかり忘れてしまいそうな手続きが山積みだった。日本では2023年の春まで継続的に水際対策がとられていたが、インドは2022年の9月末の段階で、こちらが拍子抜けするほどに何の制約もなく入国ができ、空港も街中も以前と何ら変わらない様子であった。調査地のインド北西部では、外国人観光客に変わって国内のインド人観光客が増加したおかげで、観光や外食などの産業に従事する人々も仕事を続けられたとのこと。2023年に同地を訪れた際には日本人を含む多くの外国人観光客を目にした。前年の調査時には、万全の感染予防対策で渡航するよう大学からも念を押されていた。標高3600mを超える低酸素地でマスクをつけて岩を凝視している日本人の姿は、現地の人にはさぞ奇妙に映っていたに違いない。
