おわりに(虫賀幹華/2023)

第13期 特定助教(文学研究科) 虫賀幹華 

 7人のフィールドワークは、調査する国・地域も違えば方法もさまざまであるが、共通点を見つけることができる。まず、現地の人びととの信頼関係が実りあるフィールドワークのために重要であること。Khalili, Vu, 三崎の研究は、人びとの暮らしを観察し、彼らと話さなければ何も始まらない。青柳、大谷、佐藤、西田の調査対象はそれぞれ樹木、遺跡、魚、岩石碑文や文書であるが、現地の人の協力なしには不可能である。利害関係抜きにして、会話や食事、人びととの交流そのものを楽しんでいることが伝わってくる。大谷の場合はさらに、学生を雇用し、現地の人材育成に貢献するという相互利益の協力のあり方がみられる。コロナ禍においても、KhaliliとVuは現地協力者と連携することでデータ収集を続けた。調査地に行けない西田の研究の危機を救ったのは共同研究者のフランス人考古学者であった。人との繋がりが、フィールドに行けない時にもフィールドワーカーを助けてくれることがよくわかる。

 しかし、コロナ禍をうまく乗り切ったように見えるこの3人も、フィールドに行かずに研究を続けることには限界があると口を揃えて言い、コロナによる制約があった時分にも、政情不安定ななかでも、一刻も早くフィールドに戻ろうとした。衛星画像を用いた観測を併用しながら、実際の森の状態を知るには「泥臭い植生調査」が必要であるとする青柳や、考古学あるいは生物学は、対象とするモノや生物がある・いる場に研究者が赴くことが基本であると述べる大谷と佐藤、外部との交流を一切絶って現地生活に没入していた三崎も含め、それぞれのフィールドワークの描写を読むと、そこでしか出会えない人や動植物、事物を求めて、煩雑な手続きも厭わず、過酷な住環境にも適応し、少々危ない橋を渡りながらもフィールドに身を置こうとする姿勢を感じる。五感を働かせて行う調査やインフォーマルなおしゃべりは、Zoomでは代用不可能なのだ。そして、佐藤の「形容し難い多幸感」という言葉に表れているように、手段であるはずのフィールドワークは、それ自体がフィールドワーカーの人生にとって必要なものとなっていることもまた、私自身大いに共感するところである。