はじめに(虫賀幹華/2023)

第13期 特定助教(文学研究科) 虫賀幹華 

 2008年の正月、私は北インドのヒンドゥー教の有名な聖地であるバナーラス(ベナレス、ヴァーラーナスィー)にいた。ガンジス川沿いに南北約7km続く階段状の沐浴場があり(写真1)、「世界の主」という名のシヴァ神が座すこの聖地は、その聖域内で亡くなれば解脱できると信じられている。インド中から遺体が集まる特別な火葬場は「真珠の耳飾り」という名の沐浴場の一つに位置し、「世界の主」の寺院のほど近くにある。死という忌み嫌われる現象が、聖なるものに近接していることに大きなカルチャーショックを覚えた。また当時、私には闘病中の祖母がいた。火葬場で立ち昇る煙を見ながら、祖母の身を案じていた。私がインドに旅立った直後に彼女が亡くなっていたことを知ったのは、1週間の旅を終えて帰国したあとだった。こうした個人的な体験もあって、私は、インドと聖地と死というものを関連付けすぎてしまったのだと思う。「『死』の聖地バナーラス」という題名の卒業論文を書いて修士課程に進んだあと、毎年インドを訪れながら、ヒンドゥー教の聖地と死者・祖先に対する儀礼の研究を続けてきた。

 現代のヒンドゥー教徒の信仰の実態に関心がある一方で、研究を始めた頃に師事していたのがサンスクリット文献学の先生方であったという偶然も重なって、文化人類学など現代研究の方法論を取ることはなかった。学部生の頃からインドに留学するまで7年間在籍していた宗教学研究室は、対象も方法も自分で決めよという方針で、興味の赴くまま自由に研究することが許されていた。さまざまな時代のサンスクリット語文献の記述の分析をしながら現代までの変遷を辿るという研究手法に問題があることも少しずつわかってきたが、現代の姿を文献のなかに、文献の記述を現代の営みのなかに見つけ、相互の関連を発見することが何より楽しかった。問題点を解消して、現代インド研究あるいは古典文献学というどちらか一方の視点のみではない包括的なヒンドゥー教史研究の方法を示すことは、私の白眉プロジェクトの背後にある大きな目標である。

 2014年の夏、北インドの大学の博士課程に入学した。最初の20 ヶ月間は、祖先の供養に良いとされている「ガヤー」という聖地で調査し、その後3年以上、ガヤーの宗教史を主題とする博士論文を書きながらインドに滞在した。聖地や、死者と祖先に対する儀礼の調査だけでなく、ヒンドゥー教徒たちと暮らし、お祭りを一緒に楽しむなかで、ヒンドゥー教とは何かを少しずつ理解していった(写真2)。2019年秋、留学からの本帰国時にはインドからの往復航空券を買い、3 ヶ月後に再びインドを訪れた。この滞在中に、新型コロナウイルスが世界を騒がせ始めた。両親からの懇願もあり、当初の予定を切り上げ、日本航空の高額な片道切符を買って、「コロナ感染者が日本で確認される前からインドにいる」と説明して宿のキャンセルを免れつつ、逃げるように日本に戻った。

 帰国後、ポスドクの研究場所として選んだのは京大のインド古典学研究室であった。サンスクリット文献学を一から勉強し直そうと思っていたので、インドに行けないことはさほど問題にはならなかった。しかし1年たち2年たち、文献のなかのインドだけでは満足できない自分がいた。私は、「生きられた宗教」が好きなのであり、人びとの営みを観察し、話し、試行錯誤しながらそれに近づこうとする過程そのものを愛してやまないのである。知的好奇心は湧き立ってこないが、研究発表や論文というノルマを自身に課すことでなんとか研究を続けていた。まわりが海外渡航をぼちぼち再開した頃に妊娠し、2023年夏には娘を出産した。そうこうしているうちに、インドに行けないままもうすぐ4年が経とうとしている。娘は可愛いが、インドに行くことでしか解消できない私のフラストレーションはたまったままである。

 前置きが長くなってしまった。白眉には、さまざまな分野でフィールドワークを活かした研究を進めている研究者がいる。未知との遭遇によるワクワク感に飢えている私の、さまざまなフィールド話を聞きたいという個人的な動機がないといえば嘘になるが、フィールドワークを中心にした研究紹介を複数並べてみるのは面白いだろうと思い、次の7人にエッセイの寄稿を依頼した。そして私自身は全く対応できなかったコロナ禍と、再開後のフィールドワークについても含めてもらうようお願いした。