社会人類学フィールドワークとモオレア島でのロックダウン(三崎舞/2023)
第13期 特定助教(人間・環境学研究科) 三崎舞
脆弱なネット回線でなんとか中国の友人と電話をしていたとき、私がモオレア島でのフィールドワークを終えたら雲南市の彼女を訪ねたいと伝えた。新しい感染症で混乱が起きているので、今年前半はやめた方がいいかもしれないとの返答があった。2020年2月のことだった。その翌月、フランスを経由して仏領ポリネシアに初めてのコロナ感染者が出た。それから数日間で島々はロックダウンに陥り、私は下宿していた年配の女性の家からほとんど出られなくなった。彼女は元々咳がひどかったこともあり、美しい自然に囲まれた広い家に私と2人きりであるにも関わらず、すっかり怖気付いて10分おきに石鹸で手を洗っていた。
当時私は博士論文研究のフィールドワークで1年ほどモオレア島に滞在していた。専攻が社会人類学であることから、この滞在は研究の枢要であると理解していた。現地のキリスト教とナショナリズム的社会運動の関係を調査するため、滞在先の村にある教会支部の礼拝、日曜学校、饗宴などの様々な活動に参加し、関係者とのインタビューも行いながら現地の人々との交流を深めた。訪れた当初こそ健康面や言語の未習得で苦労したものの、住めば都というもので、それなりに楽しい生活を送っていた。無限に木から落ちる熟れたマンゴーを齧りながら、教会の手伝いをしたり、現地の女性たちと踊ったりしていた。現地語も堪能になり、お年寄りの集まりに顔を出して世間話をしたりするのも楽しかった。自転車で島の外周の道路を移動していると、たくさんの知り合いに車から声をかけられた。データの収集も順調で、この時は現地の伝統治癒に使われる薬草なども調査していた。

そんな時にロックダウンは全くの不測の事態だった。世界中の誰にとっても不測だったとは思うが、私はとくに当時の世界情勢について無知だった。もともと連絡不精な性格に加え、現地で十分なデータを集めなければいけないというプレッシャー、人類学者として完全に現地生活に没入しなくてはという謎のプロ意識(?)が、島の外の世界と私を断絶していた。研究が軌道に乗ったときにそれを続けることができなくなった不満と、島の脆弱な医療体制に対する不安、それから島の外に出られなくてもなんとかなるだろうという気楽さが織り混ざって、一日のうちに気分が変動することがよくあった。そうしているうちに自身が国籍を持つ日本への交通手段がなくなり、島の感染者数は増え、ロックダウンの出口が見えなくなってきた。今まであまり頻繁に連絡していなかった家族や友人たちがこぞって私に研究を中断して島から出るように勧め、同居していた年配女性への配慮も重なって、少しの罪悪感と共に在住権のあるヨーロッパに移動した。


それが2020年3月末のことで、今に至るまでフィールドには戻れていない。ロックダウンで研究が中断された時は現地に残る意義はないと判断したが、振り返ってみると、家に閉じ込められていた三週間あまりの間に普段は経験できない生活のあり方や人々の考え方が明らかになった。どんな計画倒れの状況もそれなりの学びに変えられるのが人類学フィールドワークの強みかと思う。来年4年ぶりの再会を果たす予定のモオレア島では、何人かの知り合いが亡くなり、知らない赤ん坊が増えた。教会では新しい茅葺き屋根の建物が2棟つくられた。それにしても連絡不精の私がソーシャルメディアや電話で得た情報は限られていて、再訪にあたっての発見は未知数だ。