第218回白眉セミナー : 『日本における殉教:異質な概念の拒絶からアイデンティティの要素へ』
  • 小俣ラポー 日登美(第12期 人文科学研究所 特定准教授)
  • 2022/05/24 4:30pm
  • オンライン(Zoom)/非公開
  • 日本語

要旨

概念としての殉教は、キリスト教と対立する絶対悪に殺される犠牲者の存在をもともと意味する。一方では暴君や処刑人、他方では殉教した英雄という対立構造が、教会における殉教の定義を構成しているのである。私の研究は、この概念が果たした歴史上の役割を教会史の文脈だけではなく、日本の文脈における受容と進化の観点から検討したものである。西欧の観念的な概念が往々にしてそうであるように、近世における宣教師による殉教という言葉の翻訳は、言語的には完全に日本語訳を果たさないまま、社会状況の変化により強いられた実践によって、結果的に導入された。当時、日本の為政者は、この現象が示す危険性を認識していたがために、この言葉は公式には受け入れられず、キリスト教の殉教者は犯罪者とみなされた。

一方、日本における殉教者の姿は、ヨーロッパで流布された宣教宣伝の中心となり、ますます美化され、現地の現実からかけ離れた物語の中で語られるようになった。この現象は、長崎の26人の殉教者が死後わずか30年後の1627年に列福(聖性の公認)されたことでさらに顕著になった。殉教者像の象徴的、教義的な構築は、日本の殉教者の具体的な崇拝だけでなく、文学的、演劇的な表現にも具現化された。これは、19世紀開国直前の日本における殉教者の列聖(世界的規模での聖性の再公認)につながった。

明治維新後、反キリスト教政策を批判された日本は、殉教の概念を自国語に導入して拡散させ、状況は一変する。この変化は、例えば1931年に制作された殉教者に関する映画など、政権が日本のキリスト教の過去をプロパガンダに利用しようとする動きさえ起こすことになる。第二次世界大戦後、迫害の末に日本で永続した殉教者の記憶と伝説を起源とする殉教者の歴史は、日本の歴史と長崎のアイデンティティそのものに統合されることになった。


オープニング・トーク

白眉センター主催「研究の魅力を見出す”鏡”プロジェクトのご案内」

  • 発表者:東島 沙弥佳 (第12期 総合博物館 特定助教)
  • 使用言語:日本語

要旨

2022年6月11日 (土) に開催予定の鏡プロジェクトについてご紹介し、白眉の皆さんにも広くご参加いただければと思います。

関連する研究者

小俣ラポー 日登美