『 写本から印刷へ・インド密教の復興−20 世紀初頭の密教⽂献出版活動における⽂献学あるいは図像学的背景 』
19世紀から20世紀にかけてネパール・カトマンドゥにおいて見出された数多の梵文写本の存在はインド仏教に再び光を照らすこととなった。当時ネパール駐在公使を務めたホジソン(Brian Houghton Hodgson, 1800-1894)の写本収集活動を支援した学者アムリターナンダ(Amṛtānanda)のように現地におけるインフォーマントの存在は写本の収集だけでなく近代的な文献学ないし図像学の形成にも大きく関わっていた。なかでもシッディハルシャ・ヴァジュラーチャールヤ(Śrī Siddhiharṣa BAJRĀCĀRYA, 1879-1951)は,インド密教の基本的諸文献を校訂・出版しさらには密教図像学の基礎を築いたB. バッタチャルヤに多大な影響を与えた人物として注目される。バッタチャルヤによる一連の出版活動はさらに故宮・慈寧宮宝相楼の立体曼荼羅がインド仏教最晩期の学僧アバヤーカラグプタ(11世紀頃)に由来するものであることをも明らかにした。このような文献学と図像学を両輪とする手法は,現在に至るまでインド密教を研究するうえで基盤となってきたが,その一方で情報のもととなる資料そのものがネパールあるいはチベットにおける伝統のもとで継承されてきたものであることを前提とする必要があり,その視点こそがまさしくこれからの校訂テクストの制定と訳注作業にあたって重要な指針となりうる。なかでも,インド仏教における図像に関する教理あるいは美術の担い手としてネパール人職能者が与えた影響を看過することはできない。