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(中島) 僕の研究は、現象aと現象bが同じ方程式、同じモデルで書けるというところからスタートするので、ディープラーニングで法則のアウトプットだけわかったとしてもそのままでは使えなくて。だから、それを逆に使える方法があれば面白いかなと。どうだろう、例えば現象aで実験から得られるデータというのは決まっているんですよ。材料だったら材料の温度は絶対零度にはできないとか、得られるデータやパラメータの範囲が決まっている。現象bについても同じで、それぞれについて実験でデータ取得が得意な範囲は決まっている。だから(方程式の具体的な形は分からないけど)現象bも同じ方程式で書けると思って、現時点では現象aでは到達できないパラメータ領域のデータを現象bで取って、それをディープラーニングにデータとして入力してやって、もっと広い範囲を理解するとか。でも、それはaとbが同じ物理で書けるというところが、また別のことでわかってないといけないのですが。うまく使えれば、それはいいんですけど。
(川中) 大体同じ数式で書けるっていうのが仮定になってるわけですけども、でも多分書けると思って、だから進める立場もある一方で、本当に全く同じく書けるのかっていうのを追求する立場っていうのはあるわけですね。それってディープラーニングでできるってことなんですか?
(下野) そもそも対象がやっているのと同じ様な数式として書けるということに、そんなに興味を持っていないというか。だから、完全にもう対象がわからなくても、ブラックボックスで、最終的には答えをちゃんと当てられればよいと。そもそも現象っていうのは、ある意味二つに分かれてまして、インプットの現象と、答えを検証するアウトプットの現象がありますね。インプットの現象をデータとして入れたときに結果的に出てくる答えは、ちゃんとアウトプット側で用意されてる現象のデータに合致してればいいっていう、そういう発想なので、一義的には、ここの間を結ぶ表現が人間の理解しやすいようなかたちになってるかどうかというのは問うていない。
(川中) だから、やっぱりそこは人間がやるとこなんですか。人間がアクセスできるような法則を見つけないと、人間にとっては理解したと言えないっていうような気がするんですけどね。
(下野) その理解したいという気持ちとの葛藤ですよね。囲碁の例でも、世界のトップ棋士が負けてしまったわけですね。そうすると、勝つという目的に関しては、どんな人間もできないわけですよね。そんな対象をわれわれが理解できるのか? それにも関連した話題ですごく昔に悩んだことがあって、それがある意味、今の研究のアプローチにもつながってるんです。どう悩んでいたかと言いますと、ある脳を対象とするときには、その脳と同質の複雑性を持ったものしか個々の自分は持っていないわけですよね。その同質の複雑性しか持ってないのに、研究対象としての脳の現象を完全に理解できるかっていうと、そもそも論理矛盾してるんですね。じゃあ、そのためにはどうすればいいかっていうと、1人では難しくて、みんなでその部分の知識を持ち寄って、それをうまく組み上げることによって、何とかその完全な理解、よりいい理解に近寄っていけるっていうアプローチができるんではないかっていうのを昔思っていて、今は、まさにインフォマティクスっていう言葉が存在していて、ある意味、そういうアプローチで研究は進んでいっているんですね。
(高棹) 理解したいってなってくると、数学だと割と方程式をシンプルにしちゃうんですよね。例えば化学の反応に関する式が数十本、数百本とかあったとして、「本質的なのはこれだ!」みたいのを選んで、実は3本の連立式で大体の雰囲気はわかるみたいな。もちろん誤差はどっと出てくるんだろうけど、「これが大事だ」っていうのを選ぶっていうのが、それがある意味で理解するというものの一つなのかなって。
(川中) 物理もそういうとこはありますね。だから、本当にいろんなすべての効果を考えようと思ったら、方程式もむちゃくちゃ長くなったり、何本も持ってきたり連立させなくちゃいけなかったりするんだけど、「要はこれとこれでしょ?」みたいなのをピックアップするっていうところに物理のセンスっていうのが出てくるわけですよね。物理のセンスっていうか人間のセンスですよね。だから、そこを人工知能とかはできんのかなというのは(笑)、ずっと前から思って、実は本質を見抜くっていうのも、本質っていうのは人間の感情が決めるもんであって...。(下野)それを囲碁ではやってるんですよ。今、最強とされるソフトウェアは、本当にすごく良い手を打つんですよ。これまでの棋譜という表現型では、人のセンス的なものが、もう囲碁では感じられてきている。(川中)確かに、それも不思議なんですよね。だから、そのセンスって誰が与えたんだとか、どうやって育ったものなんだって。私、将棋好きなんですけど、将棋ももうプロ棋士はソフトに勝てないんですよね。だから、いい手ってどうやって...?
(下野) 目的がはっきりしてるんです。勝つか負けるかなんですよ。だから、勝ちやすいほうのルートを選んでいく。目的自体は単純ですが、勝ちやすい方向に常に手を選んでいくっていうときに、その途中の部分で出てくる手というのは、パッとみた瞬間、人の目には、それまでの文脈上は非常に不可思議であるものがあって、その後、20手とか経つと活きてくる。それは、ある種のセンスだって感じるわけなんです。
(中島) じゃあ例えば、人間が物理的なセンスで「これが本質だろう」と思って見いだすということとディープラーニングがやってることって同じなんですか?物理現象というモデルとして。
(下野) 同じ側面もあるとは思います。例えば京大だと将棋の羽生さんと山中伸弥先生が対談されたりとか、いろんなものが出ていると思うんですが、違いがあるところとして一つ挙げるとすれば多面的である部分。将棋とか囲碁って、勝つとか負けるかっていうところで、ある意味で目的がはっきりしてる。でも、サイエンスとか文化的活動にとっての勝つ負ける、っていったい何なのかとか、っていうのを表現し始めたときに、いろんな多面性があるわけですよね。どういう軸で自分のアイデンティティが表現されていくのかっていうのは、人間社会やサイエンスでは非常に多面的なんですよね。
(中島) じゃあ、人間の、例えば感情とか意識みたいなものは、もう多面的すぎて、とりあえずシミュレーションはまだしばらく無理ってことですか。せっかくなので聞かせてください。(下野)いや、残念ながら、私はそれにお答えをしきれないです。それは研究者によってまちまちで、ある意味で研究者の信条の部分もかかわりますよね。そこが大事な問題であるだけに、そこに直進的にいきたいという人もあれば、大事であるからこそ、むしろここを積み上げに時間が長くかかっても、長期的な視点でそこに到達するのがよしという人もいれば、そもそもそこからずれたところに見ている人もいれば、人それぞれですね。
(川中) 思うのは、現象を予測するやり方なり、人間が納得する法則を見つけるとかいう方針なりは決して相対するものではなくて、ちゃんと両輪でやんないと本当にこの世界を理解することはできないなっていうのは、これ常々思ってることなんですね。だから、よくシミュレーションという手法に対する批判だったり、でも、実験ではこんなことわかんないじゃないかって言い合ってる人っていうのは見かけるんだけども、私のいる業界からすると全然おかしくって、その実験、理論、シミュレーション三位一体で現象に向かってアプローチしないと、わかんないじゃないっていうのは常々思ってることなんですね。
(下野) だから集合知みたいなものが建設的に組み上がっていくような研究を含む社会の姿みたいなのが、シミュレーションなり、“ 次のかたちの理解 ” っていうものの姿なりをどれぐらい花開かせるのか、っていうのを左右するような気がしています。
(高棹) そういう意味では、僕も他の分野の人と、どんどん関わりを持たなきゃなって思いますが、幸いなことに僕らには白眉センターって場所があるわけですね。
(川中) 割と自分のやってることを客観的に見れるようになったっていうのは、白眉入って思ったことですね。このサイクルに限らないですけど、いろんな研究という、こういう図式ですね。その中のどこを担ってるのかっていうのを、改めて認識した気はしますね、白眉入ってから。
(高棹) じゃあ、今日はこのへんで。ありがとうございました。