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移民や難民と聞いて思い浮かぶイメージはどのようなものだろうか。貧しい、つらい、差別、摩擦、衝突、さらに近年では、いじめ…。こんなマイナスイメージがまとわりついた言葉に随分ならされてしまったようだ。また日本では移民イコール「外国人」といった意味もつよいだろう。学部時代、まだフィールドワークをはじめていなかったとき、図書館でみた本のタイトルに私は愕然とした。本棚を見渡すとそこには「文化摩擦と移民」といったテーマの本があちらこちらに並んでいたからである。移民や外国人を分析する視点のキーワードが文化摩擦であっていいのだろうか。ふと立ち止まったが、本の中身を見たいとは思わなかった。日常さしたる不自由もなく、しかも 10 年間も女子校で楽しく学生生活を存分に謳歌してきた私が、とたんに社会では摩擦の異分子とされていることにはじめて気づいたのである。客観的な記述で摩擦を論じる研究者の姿勢も大切ではあるが、しだいに、そのまなざしの冷徹さに怒りを覚えた。いまから思えば、この本棚に陳列された本の背後にある他者へのまなざし、そこにこそ私が立ち向かうべき課題があったと言える。しかし、当時は、言葉にならない反発と同時に学問的好奇心というか、なにかに引きつけられるような複雑な気がしたことを今でも思い出す。
犠牲祭で祈祷する中国雲南系ムスリム。タイ国チェンマイ県バーン・ヤーン村。1999 年
私は 1997 年の秋から長期にわたって北タイのチェンマイやチェンラーイといったミャンマー(ビルマ)国境に暮らす中国系ムスリム移民の研究を行ってきた。移民たちは生まれた時からイスラームを信仰し、中国西南部にある雲南省という場所からやってきた人々、あるいはその子孫である。なぜムスリムの中国人がタイに住んでいるのか。そんな疑問があって、私は中国語とタイ語を駆使してタイとミャンマーの国境付近にある彼らの村々を訪れ、聞き取り調査を繰り返した。そのなかで分かってきたのは、彼らが生きてきた激動の現代史は中国史や東南アジアで語られるナショナルヒストリーの枠組ではほとんど切り捨てられてきたということである。『誰も知らない』という映画があったが、彼らこそ「誰も知らない」人々として歴史のなかで忘れさられつつあった。 彼らの多くは 1949 年に中華人民共和国が誕生する前後に、その政治的経済的動乱を避け、雲南省から陸続きでミャンマーをへてタイに越境してきた“難民”であった。台湾は 1949 年に蒋介石がつくった政権であることは知っていても、1950 年代から 1960 年代にわたって、ミャンマーを舞台に中国と台湾の内戦がずっと続いていたことを知る人は少ない。その中を生き抜いてきたのが、私が調査してきた雲南系ムスリムの人々だった。 このように歴史の動乱を生き抜き、難を逃れた人たちに向かって発せられるおきまりの言葉として、「歴史に翻弄されてきた人々」がある。たしかに客観的な通史からみると、彼らは国家と国家の間をまたいで、どっちつかずの生き方をしてきたかのように見える。また、かわいそうな人々と映るかもしれない。しかし、じっさいに彼らに出会ってみると、移民1世の人たちはおおかた 70歳を過ぎていたにも関わらず、中国語(雲南方言) とタイ語まじりで紡ぎ出される一言ひとことには、生き証人としての自負がみなぎっていた。何よりも、苦難の歴史を生き抜いたその一人ひとりの語り口には尊厳さがにじみでていた。私は度肝を抜かれた。彼らは決して翻弄されていたのではなく、時代の潮流を敏感に読み取り、 異境の地であらたな世界を開拓したパイオニアであったのだ。そして、その気高さを支えている精神、それは信仰の領域、イスラームであった。奥深い信仰の世界を拠り所にし、それによって苦しいこの世を超越する価値観をもつことによって、移民たちは自らの民族的宗教的誇りを取り戻しているように私には思えた。北タイの都市部チェンマイ市や国境沿いの村むらには見慣れない中国系のモスクがたっている。またイスラームを勉強するための学校もある。そこに掲げられているモスク名や学校名を示す看板には、アラビア語、中国語、タイ語の文字が刻まれている。そこには、雲南系ムスリムたちが異境で適応するために、多言語で自分たちのアイデンティティを表現しようとする強い意志と未来への希望が託されている。 フィールドワークで大切なこと、それは「フィールドが先生である」ということである。自分の偏見やなじんできた価値観をかなぐり捨て、現地の人々の視点から物事をとことん考え、もうひとつのオータナティブな価値観と生き方がこの広い世界にはあることを自分の体を投げ込んで実感し、獲得していく作業である。私は雲南系ムスリムの調査を続けるなかで、移民や難民の人たちの底にながれるバイタリティと環境をつくり変える創造力を現場で教えてもらった。苦のなかにあってわき出る生の活力、そんな生き方と価値観を私に教えてくれたフィールドの人たちはまさに人生の先生である。
(おう りゅうらん)