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私は現在、理論物理学、特に素粒子物理学の一部門である弦理論を専門にしています。 弦理論の研究者になるまでには多少の紆余曲折がありました。初めは日本の大学院で物性理論物理学を専攻していましたが、修士号取得後に弦理論に転向することを決め、米国の大学院の博士課程に入学しました。留学した大きな理由は、海外の理系大学院では TA や RA をすることにより授業料が免除になるだけでなく逆に給料をもらって自立した生活ができるということです。留学が初めての海外ということもあって大変なことはありましたが、無事 PhD を取得し、その後海外でのポスドクや日本国内の職を経て、現在は白眉研究者として京都大学で研究を行っています。 弦理論は自然界の基本構成要素が微小な弦であるという仮説に基づいた素粒子理論で、自然界に存在する四つの力を統一できる理論の最有力候補として盛んに研究されています。しかし、弦は余りにも小さすぎるため、現代の技術ではそれを実験的に直接観測するのは難しいと考えられています。
米国での大学院の教官とアムステルダムの研究会で再会
実験できない理論を研究するというのはどういう意味でしょうか。実は我々は、弦理論とは一体何なのかをまだ完全には理解していません。我々がとりあえず弦理論と呼ぶ理論が存在することは分かっていますが、その詳細は未解明です。ですから、そもそも弦理論とは何かということを研究することが必要なのです。他の理論では解析不能な極限的状況(例えばブラックホール)に弦理論を適用しその予言に矛盾がないかを調べる「思考実験」は重要な研究手法です。このような研究により、弦理論は無矛盾かつ豊かな物理的内容を持つことが明らかになってきており、私は弦理論が机上の空論ではなく自然を記述するために基本的で重要な役割を果たすと信じています。 弦理論の研究者としての私の日常は次のようなものです。まず、論文を読み、他の研究者のアイデアや最新の結果を学びます。論文はプレプリントサーバと呼ばれるインターネット上のサイトからダウンロードします。プレプリントサーバには、世界各地の研究者が毎日新しい論文を投稿しています。また、ここで言うアイデアや結果というのは、弦理論とは何なのかを探るための理論的アイデアや、思考実験の結果のことです。また、論文を読むだけではなく、世界各地で行われている研究会に参加して講演を聴き、最新の情報を得ます。 そして、それらのアイデアや結果について他の研究者と議論してそれが弦理論に何を意味するかを考え、さらなるアイデアを練ります。それらに基づいて思考実験を行うこともあります。他の研究者との議論は、直接会うだけではなく電子メールやスカイプなども用いて行います。 そして、得られた結果を論文にまとめプレプリントサーバに投稿します。研究会に参加して結果についての講演も行います。このようにして研究者たちが弦理論ひいては我々の宇宙の理解を深めようと日々努力しています。 理論物理においてはアイデアが全てです。アイデアの先取権は最初に論文を出した人にあるので、地球の反対にいる人に出し抜かれることもあります。最近は、先取権は1秒を争うものではなく、ある論文がプレプリントサーバに出てから1週間ほどの間に同じ内容に関する論文を出せば、両方の論文が先取権を持つとみなされます。 これは、最初の論文が出る前から同じ内容について考え、 ある程度の結果を得ていなければ、1週間で論文をまとめることは不可能だからです。 プレプリントサーバには弦理論に関連するものに限っても毎日十数個の論文が投稿された順番に出ます。面白いことに、このリストの最初に現れる論文の被引用数が多少高いという統計があります。論文で重要なのは中身ですが、研究者も人間ですから、最初に目を引いた論文に注目しがちであるということです。今日も、世界のどこかに、受付開始の時刻直後に投稿のボタンをクリックしようとコンピュータの画面にかじりついている研究者がいるかもしれません。
(しげもり まさき)