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“研究の現場から” というエッセイをご依頼いただいたとき、私は仕事でイギリスに3週間ほど出向こうとするところでした。白眉研究者として京都大学で勤務を始めるまで5年間ケンブリッジ大学で研究員を務めた私にとって、この一年は様々な日常で変化を感じずにはいられなかった時間であり、この先、進むべき研究者スタイルをその都度模索したものです。一方で、白眉研究員として採用いただいたことで、様々な分野で活躍する優秀な方々とお話をさせて頂く機会が多くなり、人間の物事に対する考え方のダイナミックさに衝撃を受けました。それだけではなく、再生医科学研究所に受け入れを頂いたおかげで、iPS 細胞、再生医療というサイエンスにおける流行の先端を間近で感じることができ、私の大好物であるタンパク質の凝集に関する研究とはひと味異なる興奮を覚えたものです。私がこの一年で経験した、迷い、驚き、感動をここで皆様にお伝えできたら嬉しく思います。なお、多くは私感に基づいていますので、 語弊がありましたらお許しください。
(1)イギリスのこころ
目が覚めると、屋根の上にいる小鳥が夜明けとともにさえずっていた。そんな朝を私はケンブリッジで人生初めて体験した。あちらは緑が多く、野生動物が豊富だ。イギリスは日本に比べて、国土面積が3分の2、人口が約半分である。「Masa の家を見せてみろ!」と言われ Google map でたどり着くも、今度は「何処が街の切れ目なのか?」と尋ねられる。確かに日本は境界線を引くのが難しい。実は強烈な学歴社会のようだが、ケンブリッジ医学研究所にいる人々は基本朗らかでおしゃべり好きであった。働き始めて最初の驚きは、 10 時 15 分に「Tea?」と言われた事であった。12 時 15 分にはランチ、15 時 15 分にはまた Tea である。家族を持った研究員たちは基本9 時から 17 時頃までを勤務時間とする。あれでなぜ結果を出せるのか疑問に思ったこともあったが、彼らなりのリズム、集中力の磨き方なのであろう。合理主義に基づく完全職務分担制。器具洗浄、実験の下準備、機械の管理は人任せ、研究所に消耗品を販売する店もあり業者は日常の風景に現れない。自分の役割を見つけやすい、その分、重要なポジションにつくには、並大抵ではない努力と才能そして政治力が求められる。階級社会の国の一端を垣間見たのかもしれない。しかしながら、無駄な事に迷わない、お互いの個性をきちんと認め合う、その姿勢は私が見習うべきであると感じた。そして何よりも、みな笑顔が素晴らしい。
国際色豊かな James Huntington 研究室のメンバー(右端が筆者)
(2)白眉研究者って何であろう?
「白眉」という若き煌めきを「伯楽」という人生の目利きが選定するという、京都大学渾身の白眉プロジェクトに一員として参加できたのは誠に幸運であった、と今更ながらに思う。昨年5月末に行われた白眉合宿は、他の二期メンバーより一ヶ月遅れて就任した私にとって、初めて他の白眉研究者に接見する緊張かつ畏怖の場であった。 しかし、それは全くの誤解と気づく。彼らと話せば話すほど面白い、 盛り上がる。英語で話すより簡単であった。そして皆が(たとえどんなに酔っぱらおうとも)お互いを尊敬する事を忘れない。また、非常に面白かったのは、サイエンスにおける立ち位置の違いを感じたことである。生命は多様かつ神秘に包まれている。それを上から観察し、仕組みを一つ一つ理解しようとしてきたのが生命科学者であろう。一方で数学者は「数」という私の目には見えない魔の世界に虜である。しかし彼らの造る「ことば」は物理学、化学、天文学などのベースとなり、生命現象をウルトラミクロな視点から美しく理解する武器となっている。特に宇宙の研究者はギガ year レベルでサイエンスを考えておられる。衝撃であった。社会科学者は長くともキロ year レベルで人間が生み出して来た言葉・思想・社会などを理解するため、もう一段上から生命を眺めている感がある。研究者として胆力を養うべきこの時間に、サイエンスにおける様々な正義を気軽に語り合えるこの場所は素晴らしい。
(3)新しいサイエンスのかたち
タンパク質が凝集することは、我々の体の中にゴミが溜まるようなものである。私はそのゴミがかたち作る仕組みをタンパク質構造レベルで理解し、病気につながる前に掃除またはリサイクルできないか、最悪でも病気になる事だけは防げないかを日々考えている。 そんな中、もはや誰にも止められない勢いがある iPS 細胞・再生医療の技術は、我々の分野にも進出している。例えば、遺伝子配列の間違いを修正してやれば元々ゴミなど生まれてこないというアプローチだ。言葉にすれば簡単だが、iPS 細胞の作製、目的の場所での遺伝子損傷、トランスポゾンによるマーカーの除去、特定の臓器への分化誘導など、緻密なストラテジーの設計、最新の技術が必要とされる。では、再生医療の現状はどうか。網膜、歯、髪の毛は実現段階に近いというのが私の印象である。ここで非常に興味深いのはその再生医療のサイエンスにおける姿勢である。彼らは無理にすべての生命現象を理解しようとはしない。自らの目的を実現するために生命の不思議をうまく懐柔する。神秘のテクニックは悪魔の囁きかもしれないが、その危険性を知るのは時間のみである。再生医療の進展と生命倫理の戦いは避けられない。しかしながら、その勇気と責任が賞賛される日が来る事を願ってやまない。今や生命科学は未知の領域に挑戦している。それに興奮しつつ、私はもうしばらく生命の不思議を覗き込んでいくとする。
(やまさき まさゆき)