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みなさんのデスクの上は、綺麗に整頓されていますか? 私は、ちょっと、というかかなり苦手です。放っておいたらあっという間にぐちゃぐちゃになってしまう机の上を綺麗な状態に保つには、片付けるためのエネルギーが必要ですよね。生物に関しても同じです。複雑なシステムとも言える「いのち」を維持するためには外部からエネルギーを取り込み続ける必要があるのです。それでは、生物にとってのエネルギーとは何でしょう。私たちの食事の中に含まれる糖や脂肪など、植物であれば光がエネルギー源です。 これらに含まれるエネルギーは、一旦アデノシン三リン酸(ATP)という物質に蓄えられてから生命活動に使われます。人間の社会で火力や水力がいったん電気というかたちに変換されてから様々な機器に使われるのとよく似ています。生命のエネルギーを仲介する ATP 無くして生物は成り立ちません。
私はもともと生体物質の1つであるタンパク質の研究を専門にしていました。特に、ATP のエネルギーを使って働く「分子機械」と呼ばれるタンパク質の動きを詳細に調べる研究です。ある時、この分子機械の一部を使えば生きた細胞の中の ATP 濃度を顕微鏡で可視化できるのではないか、というアイディアを思いつきました。調べてみると、 ATP の発見から 80 年も経過しているのにも関わらず、生きた細胞の中の ATP の挙動は実は誰も観察したことがない事がわかりました。細胞をすりつぶしてからしか、ATP濃度を測定することができなかったのです。私は当時の研究で、それなりに成果を挙げていましたし、その後もコンスタントに論文を出せる自信はありました。ただ同時に、 その「居心地の良さ」に安住すると、新しい概念を生み出すような研究はできないのではないのか、自分自身の成長が止まってしまうのではないかという不安も感じていました。結局、「誰もやっていない研究だし、細胞内の ATP が可視化できたらきっと面白いことが見えるに違いない」という思いを信じて、それまで細胞生物学の素養は皆無だったのですが「細胞内 ATP 可視化技術を確立する」という研究テーマに大きく変える決心をしました。そして、初めての論文がどうにか世に出たのは、3年後のことです。その間は全く論文を出せない状況に苦しい思いをしましたが、これほど成長した3年間も無かったかもしれません。
研究を指導している大学院生3人とともに(右から 2 番目が筆者)
白眉プロジェクトでは、受け入れ先の研究室の大学院生 3人と一緒に、ATP 可視化技術を発展させながら、ATP の知られざる側面を明らかにしようとしています。これまでの計測法と全く異なり、生きたままの細胞での ATP の挙動を観察することができるので、従来の知見では説明できないような現象をよく観察しています。このようなデータをどう解釈したらよいのか、頭を抱えることもありますが、自分で立てた仮説を実証するためにデータを積み上げていくのは楽しいものです。これまでの知見と相反するデータも少なくないため、論文にするのは大変ですが、徐々に方向性は見えつつあります。現在はさらに手を広げて、ATP 以外の生体物質の可視化や、エネルギーの流れの操作にも取り組んでいます。生物らしさを特徴づけるエネルギーの流れは、糖尿病や神経変性疾患などの疾患との関係も注目されています。自前で開発した技術を基本にエネルギーの流れの生物学的・医学的な意義を掘り下げ、新たな知見へのブレークスルーにつながると信じて日々研究に取り組んでいます。居心地の良さに安住しないように自らを戒めながら。
(いまむら ひろみ)