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ライプツィヒという街をご存知ですか?現在は人口約 50 万の旧東独の地方都市ですが、古くから北は北海、南はイタリア(ギリシャ)、東はポーランド、西はフランスを結ぶ交通の要所・国際都市として栄え、また、中部ヨーロッパを代表する印刷出版の街として、新聞・雑誌の刊行を担う、知の発信センターでもありました(宗教改革の時にはルターの 95 か条の論題を印刷しています)。そしてライプツィヒ大学は、一度も歴史が中断しない総合大学として現ドイツ最古の大学で、ゲーテ、ニーチェ等が活躍、 日本からは森鴎外や朝永振一郎が留学しています。
ライプツィヒでの国際学会で
さて、何故ライプツィヒのことを書いたかというと、現在私たちが「オーケストラの演奏会」と聞いてパッと思い浮かべるようなスタイルが、このライプツィヒで形づくられたからです。フランス革命を経た 19 世紀初頭、それまで教会や宮廷を舞台としていた音楽は、入場料収益を前提とし、演奏会専用のホールで開催される「近代的演奏会」 を舞台とするようになったのです。
19 世紀前半における音楽文化のこうした転換を主導したのが、ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団で活躍したフェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ (1809-1847) です。作曲家であると同時に「演奏家」であり、また演奏会をマネージメントする「興行家」でもあったメンデルスゾーンは、新興市民のライフスタイルに合致する新しい演奏会制度を創出した中心人物でした。
ラジオやレコードが普及したのは 20 世紀に入ってから。 それまで音楽はナマで聴くものでした。演奏会に行くか、 自分たちで演奏するか、このどちらかしかなかったのです。 その「演奏会」では、どのような作品が、どのような順序で、どのような頻度で、誰によって演奏されていたのでしょうか。ライプツィヒ市歴史博物館には、王宮付属ではないオーケストラとして世界最古であるゲヴァントハウス管弦楽団の、創立以来の演奏会プログラムの実物が保管されています。このプログラムを調査してみると、意外な事実が次々と判明します。
たとえば、オーケストラ作品でもっとも「価値ある」作品といえば、交響曲と相場が決まっています。ベートーヴェンの交響曲をひとつの頂点とし、そこから、長大な演奏時間、多勢の演奏者、難解な作曲技法を追求する交響曲が「発展」していきました。でもそれは、「人物と作品」という視点から音楽史を眺めたときに出てくる結果です。過去のプログラムからは、交響曲より「序曲」が好んで演奏されてきた事実が読み取れます。今日の演奏会では、冒頭に導入として演奏される序曲が、かつては、様々な位置で演奏されていました。メンデルスゾーンの代表的な作品である《真夏の夜の夢》も《フィンガルの洞窟》も、 演奏会用に書かれた序曲です。「絶対音楽の最高峰」である「交響曲」が価値をもちはじめた時代にあって、メンデルスゾーンが「演奏会用序曲」を好んで作曲した理由は、 このような歴史的背景においたときに明らかになってきます。
では、なぜ序曲が人気だったのでしょうか?その理由のひとつには、「自分たちで演奏する」という当時の音楽受容の主要スタイルがあります。オーケストラ作品はピアノ連弾用に編曲して出版され、家庭で受容されるというのが一般的でした。とすると、長大で難解な交響曲は弾けませんし、楽譜の頁数と値段の問題も発生します。それらをクリアしたのが、10 分程の親しみやすい序曲だったわけです。実際、メンデルスゾーンは出版社と頁数についてやり取りした手紙を残しており、出版社の広告には「難しくない」ことが宣伝文句として残されています。
ライプツィヒに戻りましょう。演奏会で新曲が演奏される、その宣伝や批評が音楽雑誌に載る、その音楽雑誌はヨーロッパ中に読者を持つ。そこで評判を得た作品はピアノ連弾用楽譜にして出版される、もちろん広告が載る。 音楽雑誌を刊行したのも、楽譜を出版したのも、ブライトコプフというライプツィヒの老舗の出版社でした。ブライトコプフの社長は、演奏会の企画にも深く関わっていました。演奏会の音楽監督はメンデルスゾーン。彼は消費者の動向を見込んで作曲しただけでなく、外国に演奏旅行しドイツ音楽をひろめ、さらにライプツィヒ音楽大学を設立します。教えるのはゲヴァントハウス管弦楽団の団員。 世界各地から留学生が集い、卒業生は世界のオーケストラの団員となって活躍します(日本の音楽教育の黎明期にも少なからぬ影響を与えており、滝廉太郎が学んだのもライプツィヒ音楽大学でした)。このようにすべてがウラでつながる「トータルな音楽産業の萌芽」が、ライプツィヒにあったのです。
演奏会プログラムに記載された作品の自筆譜を見つけ出し、透かし模様や紙の厚さを観察して、当時の広告や批評とつき合わせる。歴史を通して名作のみが残される、 とよく言われますが、私の研究は音楽の歴史とはそもそも何なのか、を問い直すおもしろい研究です。
(こいし かつら)