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日本の医療制度はときに大きく変化する。自己負担額の変化は、2割が3割なら患者さんにとっては 1.5 倍、1割が2割なら2倍と、見かけの値段の変化は普通のサービスではあり得ないほど大きい。また、2年に一度、医療の価格表である診療報酬が改定されるため、同じ治療を受けていても微妙に価格が変化することになる。医療制度を研究する身としては、そのような医療制度の変化に対する患者さんの生の反応をどうしても知りたいと思う。たった2年の病院勤務ののち経済学を志した私が、なんとか勉強しながら 10 年以上診療を続けている理由の一つである。
医療技術の変化はめまぐるしい。毎月のように新薬が発売され、今までと全く作用機序が異なるものもある。現在、 病院での在院日数を短縮し、出来るだけ入院後の外来は診療所でという流れになっているが、この場合診療所の医師は、 病院で行われるような治療についての知識も持たなければ退院後の患者を外来で診ることはできない。
医療技術が健康を改善することへの大きな信頼は、患者も当然のことながら、医師も同様に感じている。当初思われていたよりも効果がなかったということが臨床研究で示されたとしよう。街場の科学者ともいえる医師に、研究結果を正しく解釈し科学的な事実に基づいて診療を行うように進める動きを Evidence-based medicine(根拠に基づく医療) という。しかし、今まで行ってきた治療を変えるというのは意外に難しく、科学的な根拠をどのように診療に反映させるかが、医学アカデミア側の目標といえる。
さてお金の話である。私の研究者として最初のテーマは、 医師は科学的な根拠よりも自分の金銭的な利益を優先するかという問題であった。医師の処方行動を分析したところ、開業医のように処方が自分の利益に直結する場合であっても、 科学的な根拠を越えて無駄な処方をしているものはそれほど多くなかった。目の前の患者の健康と自分の金銭的な利益なら目の前の患者を優先する。患者の利益と医師の利益が常に合うようにインセンティブ設計しなくても医師は患者のために行動するという事実を見て、単純にうれしかったのを覚えている。
医療費の増大が続き財政状況が厳しくなるにつれて、社会は医師にさらにもう一つ求めるようになってきた。総医療費の抑制である。目の前の患者に対する治療が、社会がその治療にかけている費用に見合う効果を上げているかを考慮する必要が出てきたのである。
効果がない治療や、副作用の方が多いかもしれない治療を患者に諦めてもらうのはたやすい。しかし患者に、「社会があなたのために負担している費用から考えると十分な効果がないのでこの治療は今年からやめになりました。」と言って納得させるのは、医師患者間の強固な信頼があったとしてもかなり気を遣う。このような、目の前の患者だけでなく、医療制度全体のことも考えなければならない医師の役割を「二重の代理人 (double agent)」と呼んでいる。板挟みは常に苦しい。
とはいえ、費用に見合わない治療を続けることは、財源に限りがあることを考えれば、将来の患者が費用に見合う治療を受ける機会をも奪う可能性がある。また、医療以外の教育や公共事業などに回すことができる資金を奪うかもしれない。
医療技術の費用効果を評価し、その結果に基づいて医療費の配分を変えるというのは、効率が低いものはやめて効率が高いものにお金を回しましょうという至極単純な話である。しかし、実際に政策を実行しようとすると問題は山積みである。できるだけ幅広い医療技術を比べるためには、統一的な医療技術の評価指標が必要である。「寿命を延ばすかどうか?」は非常に客観的な指標であるが、寿命は延ばさないが QOL(Quality of life: 生活の質)を改善する治療は全く評価されなくなってしまう。多様な価値観を含む QOL 指標とはどのようなものであろうか? 新しい医療技術に対する期待をどのように効率性の議論に向かわせるかも重要である。このような問いに、人々の意識や価値観の特徴を考慮した上で無駄なあつれきをうまずに制度設計するというのが、 私の現在のテーマである。
ウィルス感染の多い時期、ほとんど効果が無い抗生物質の投与や輸液をどうやって説得して止めるか。医師としてうまく「二重の代理人」にならないと政策を議論する資格はないだろう、と思いながら患者さんと向き合っている。
医療技術の使用者として
(ごとう れい)