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私が、量子に惹かれるようになったのは、学部2年のころまで遡ります。当時の私は、細分化され、複雑な大学での勉強についていけず、打ち拉がれていました。その頃出会った量子は、非常に素朴でいて、かつこの世界を説明しうる包容力があり、また直感的には理解しがたい不思議さも兼ね備えていました。瞬く間に私は量子に魅せられ、現在でも毎日量子のことを考えて研究を行っています。そろそろお分かりだと思いますが、「量子」は「りょうこ」と読むのではなく「りょうし」と読みます。私の研究分野は、量子情報科学という分野で、この世の中を記述する最も基本的な物理法則である量子力学と情報科学の融合分野です。この分野の究極的目標は、この最も基本的な物理法則、量子力学に従って動く量子コンピュータの仕組みや挙動を理解し、それを実現することです。また、量子の応用といった工学的側面だけでなく、量子力学に基づいて動くすべてのものと互換性がある量子コンピュータの理解から、我々の自然界への理解が深まることも多々あります。穿った見方をすれば、我々の世界は1つの大きな量子コンピュータで、物理学者はそれを動かすルールやバグをハッキングしているといえるかもしれません。実際、量子コンピュータに関する考察からブラックホールの性質に関する議論がなされたり、新たな機能をもつ物質が提案されたりしています。量子力学という非常にシンプルなルールから議論を積み上げていく事によって、物理や情報にまたがった、複雑性に富んだ幅広い分野の理解が深まるところに、この分野の醍醐味があるといえます。
とはいえ、実用的な量子コンピュータの実現にはまだほど遠いというのが現状です。これまで当分野の研究者は壮大な夢を売り物にして研究してきたところがあります。しかし、私がちょうど白眉センターに着任した頃から、風向きは大きく変わってきています。まず、カナダのベンチャー企業が、これまでの技術では考えられないほど大きな規模の実用的な?量子コンピュータを開発し、商業用に売り出しました。ただ、この量子コンピュータは万能な量子コンピュータではなく、特殊な方式が採用されています。この量子マシンに関して、物理学者・計算機科学者の間で大きな論争が巻き起こり、毎週その性能に関する議論がプレプリントサーバーに公開されるような状況でした。残念ながら、第三者による評価の結果、その性能は既存のコンピュータを凌駕するものではなく、量子効果による高速化は確認されませんでした。とはいえ、量子に基づいて動いているという確証は得られており、おそらく人類が手にした最も複雑なマシンであることには違いありません。興味深いことに、これまで物理学では主に自然界で“自然に”観測される現象を対象としてきましたが、このような人工的に作り込んだコンピュータの挙動そのものが、物理学の観測対象物になったことは、歴史的な転換であったと思います。また、昨年2014 年には、米国の大学のグループが、万能性がある真の量子コンピュータに関する実験的なブレイクスルーを起こし、これまでSF だった量子コンピュータの実現が一気に現実味を帯びてきています。早速Google はこのグループに投資し、IBM も量子コンピュータ開発を加速させ、Microsoft は独自路線で量子コンピュータのデバイス開発のためのファンドを準備しました。イギリス政府は £270M、オランダ政府は €135M を投資するなど、量子コンピュータの基礎研究・開発競争がまさに世界的に始まったように思えます(景気のいい話ですが、私のところには1 銭も入ってきていません)。このような戦国時代にこの分野に携われるということは非常に幸運であると感じています。
この環境の変化にともなって、基礎的な課題がたくさん浮き彫りになってきています。例えば、既存のコンピュータが真似できないような高速の量子マシンを実現したとき、如何にしてその性能を評価すればよいでしょうか? あまりに複雑すぎて一つ一つ実験的に検証していると、太陽の寿命がつきてしまうくらいの時間がかかってしまいます。まるで中世の物語、魔術師マーリンに翻弄されるアーサー王の様相を呈しています(これにちなんだ量子マーリン−アーサー問題という種類の問題が実際に研究されています)。ということで、これまで行ってきた量子コンピュータの実現のための理論研究に加え、量子マシンをもたないひ弱な人間が、与えられた量子マシン(偽物かもしれない)を、真に量子的であるかどうか検証するための理論研究を最近はじめました。また、同じ物理系といっても量子とはまったく異なるタコの足(非線形力学系)を用いて計算を行う中嶋さん(白眉センター5期)と協力して、近未来的に実現するであろう量子コンピュータの新たなキラーアプリの探索も行っています。最後に、量子コンピュータの最近の進展について興味がある方は、Nature 誌の一般向け記事“Quantum computer quest”[Nature 516, 24 (2014)]をご一読下さい。ゲームのタイトルのようにかっこいいこの標題の直訳は、「量子コンピュータへの探求」だと思いますが、それではあまり面白みが伝わらないので「量子の大冒険」と意訳しておきます。
主催した研究会の懇親会。
(ふじい けいすけ)