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日本人の主食として皆さんが一番初めに思いつくものはお米だと思います。ご存知のように日本には様々な種類のお米の品種があり、スーパーマーケットに行けばたくさんの種類のお米が売られているのを目にすることができます。最近は地域独自のブランド米も数多く開発され、おいしいお米が簡単に手に入るようになっています。このように品種改良によって新しい品種を開発することを「育種(いくしゅ)」と呼び、育種に役に立つ理論や手法を研究することを「育種学」と呼んでいます。私の専門は育種学であり、主にコメ(我々はイネと呼んでいますが)を用いて研究を行っています。
さて、我々が主食としているイネの起源は中国の南部であるといわれています。イネの栽培が始まったのは今から1万年ほど前のことなので、その祖先がどういうものなのか直接確認することはできません。しかし、イネの祖先は東南アジアや南アジアに自生している野生イネという植物に近いとされています。私はこれまでにラオスやカンボジアなどでこの野生イネを見たことがあるのですが、初めて野生イネを見た時はとても驚いたことを覚えています。これが野生イネだと言って見せられたその植物は、生育の旺盛な雑草のようで、私がイメージしているイネの姿とは似ても似つかないものだったからです。野生イネが雑草のような姿をしていることから、人類は1 万年という長い時間をかけて、雑草のようなイネの祖先を現在の姿に変えてきたと考えられています。名もなき古代の人々の試行錯誤や様々な苦労の結果、現在の美味しいお米ができているのだと考えるととてもロマンを感じます。
吉田キャンパス北部構内の水田にて。
では、この1 万年の品種改良の過程でイネはどのような変化をとげたのでしょうか? 現在栽培されているイネと野生イネを比べると、栽培イネはお米の部分が大きい(収穫物が多い)、一斉に発芽する(栽培しやすい)など、農業に適した特性を持つことがわかります。近年の研究からこうした特徴は野生イネの遺伝子に生じた変化が原因となっており、栽培イネは農業に適した遺伝子を多数持っているということがわかってきました。一方で栽培イネは野生イネが持っていた多様な遺伝子を失っており、遺伝的により均一であることもわかってきました。このような遺伝的多様性の減少は時として農業に深刻なダメージを与えることがあります。例えば19 世紀のアイルランドでは主要な食物であったジャガイモが疫病により大きな被害を受け、大飢饉が発生したことがあります。これは、当時、遺伝的に画一なジャガイモが広く栽培されていたため、このジャガイモに感染する病原菌の増殖を抑えることができなかったことが原因といわれています。つまり、遺伝的に画一な集団は周囲の環境変化に対してより脆弱だといえます。
そこで、栽培イネが既に失ってしまった野生イネの遺伝子を利用しようという動きがあります。実際に、野生イネには病気や虫などに強い遺伝子が存在することがわかっており、人工交配によって栽培イネに導入された例もあります。ところが、このような人工交配による遺伝子の導入は容易ではありません。なぜなら、交配に使う系統の縁が遠くなればなるほど、雑種を作成した際に異常が生じるためです。そこで、私は現在、イネの雑種に異常が生じる原因を詳細に調べています。具体的には、日本ではほとんど馴染みのないアフリカイネという種類のイネを利用して研究を行っています。このアフリカイネはアフリカで粗放的に栽培されていたイネで、アジアの栽培イネよりも原始的であると考えられています。アフリカイネはアジアの栽培イネが持っていない耐病虫害性やストレス耐性を持っていることが明らかになっており、これら良い特徴をもたらす有用な遺伝子の利用が期待されています。しかしながら、アフリカイネとアジアの栽培イネを交配すると雑種のタネはほとんど実りません。白眉プロジェクトでは遺伝子解析技術やゲノム解析技術を用いて、雑種がタネをつけない現象の分子機構の解明に取り組んでいます。これまでの2 年間の研究ではこの現象が予想以上に複雑な制御を受けていることがわかってきました。思い通りに研究が進まずにもどかしい気持ちになることもあるのですが、いつか、1 万年以上続く品種改良の歴史の端にこの研究が加わることを願いながら、イネを前に試行錯誤する日々を送っています。
(こいで ようへい)