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この4月からオックスフォード大学数学研究所に滞在しています。研究所の建物は、数年前に新しく建てられたもので、あちこちに数学ネタが仕込まれており、ここに集う人々の数学への愛を感じます。また、建物には、ここの教授でもあり、「フェルマーの最終定理」を解決したアンドリュー・ワイルズの名前が冠されています。先日、研究所のティールームで手に取った冊子に、ワイルズが証明を思いついた瞬間の回想が書かれていました:「何年も考え続けることで、直感が磨かれ、あるとき、答えが光のように現れるのです...この閃きの瞬間 (eureka moments) のために、数学者は生きているのです...(中略)...1994 年9月のあの朝、最終定理が解けた瞬間を、生涯忘れることはないでしょう」。
数学者の端くれの私にも、些細ですが忘れられない瞬間があります。このうちの一つをお話ししたいと思います。ここ数年、私は「流れの中の微生物の遊泳」を表す方程式に取り組んでいます。このような複雑な現象を表す方程式は、もはや紙とペンで解けることはほとんど無く、もっぱらの目標は、式をコンピュータで解いて(コンピュータシミュレーション)、生物の理解を深めることです。しかし、この方程式の厳密な解を求めることを諦めていたわけではありません。生物学寄りの研究を進めながら、何か手がかりはないものかと、日々アンテナを張っていました。
ことの発端は、ある会議で聞いた理論です。その理論は、特定の条件下では非常にパワフルで、もしかすると、これを使えば、自分の方程式も手計算で解けるかもしれません。その後、発表者の先生に理論の技術的な部分を教わりながら、長い長い計算を経て、無事に方程式の一部を解くことができました。しかしまだ完全な解ではなく、コンピュータの助けが必要です。しかし、さまざまな条件でコンピュータ計算をしても、予想していた解が現れません。予想よりももっと単純なパターンばかりが出てきます。...困りました。その日は諦めてさっさと家に帰ることにしました。「見つからないのなら、そのことが証明できればよいのに」。
出町柳駅までのいつもの帰り道で、閃きの瞬間は訪れました。コンピュータの画面に現れるパターンは、まるで太陽系の星々の運動のように規則的でした。そして、この星々の規則の背景にある「数学的な構造」が、微生物の遊泳の方程式にも存在していることを確信しました。このような妙な直感が当たることは、ほとんどありませんが、この時は何かに導かれるかのように、はっきりと答えが見えていたことを覚えています。その後、帰り道から、翌朝までの記憶はありませんが、家族の証言によると、突然ベッドから飛び起きたり、ひたすら何かをつぶやいたりしていたそうです。おそらく証明の方針を考えていたのでしょう。翌朝、幸せを噛み締めるかのように、証明のための計算に取り組みました。幸いなことに、あるいは非常に残念なことに、ものの1時間で証明は完了し、方程式の完全な解を手に入れることができました。
私の解いた方程式は、有名な問題でもなんでもなく、無数にある方程式のひとつにすぎません。しかし、複雑な生命現象のための方程式に、宇宙を統べる数学的な構造が隠れていることは、本当に驚きです。そして、その発見の瞬間に巡り会えたことは、ただただ幸運としか言いようがありません。一生分の運を使い果たしたのではないかと思うほどの恍惚感が忘れられず、あのときの残像を追って机に向かってしまうのは、きっと私だけではないはずです。
その忘れられない瞬間の味は、函館でご馳走になったお寿司のようでした。口の中に入れたときの衝撃、そしてその後、体中に広がる幸福感と余韻。この寿司の残像を追いかけても、オックスフォードでは、あまり成果はなさそうですが。
オックスフォード大学数学研究所(筆者撮影)。入り口にある幾何学的なデザインはペンローズ・タイル。
後ろに見えるのはラドクリフ天文台。
もうひとつの忘れられない味、函館「大寿し」。
(いしもと けんた)