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時に流されて
2018年4月に東京工業大学情報理工学院に着任しました。大岡山の建物の11階にある研究室からは、 延々と続く人工物の先に、 天気の良い日は綺麗な富士山が見えます。すぐ下にあるグラウンドからはアメフトやサッカーを練習している学生の声が聞こえてきて、夕方になると窓際で、これは「微笑ましい」だ、と眺めています。東京に住むのは初めてで、田舎気質の自分にやっていけるんだろうか、と来る前は心配していましたが、住んでみれば、便利だし、美術や演劇など文化に触れられて、そして案外自然も豊かだったりして。授業やセミナーの合間に、Google mapの緑の場所(公園とか)をピックアップしては巡りながら、バランスをとって生活しています。
白眉での最後の方は「数学ってなんなんだろう」「私はいったい何をしてるんだろう」というモードに入っていて、そのまま東工大に着任したものだから、最初の2年はなんだか気持ちも生活も混沌としていました。「なにかよくわからないもの」を教えるということはできない、という気持ちが尾を引いて、授業がうまくできない日々。2 年目からは研究室に学生さんが所属してくれて、彼らと数学することは単純に楽しくて、一緒に夢中になっているうちに、これの連続が数学を形作ってきたんだなあ、と最近は腑に落ちています。研究室はできるだけ白眉っぽく、閉じずに、開いて、をモットーに、いろいろなひとに出入りしてもらっています。「テラコヤ」と称してプチ白眉セミナーみたいなことをしたり、壁を一面ホワイトボードに作り変えて書き込みイベントをしたり。ドアを開けて、いつ誰がきてくれても良いように気持ちに余裕を持って、学生の(社会の)日常の「隙間」的な場所でありたいと思っています。
昨春、研究交流のために一ヶ月京都大学に滞在しました。一瞬で白眉にいた頃の記憶が蘇って、というか、つい昨日のことのような連続性というか、東京での生活は妄想で、いまもなにごともなく京都で生活している、というような気分になりました。土地に規定される思考回路というもの。あのとき京都を旅立ったときに止まった思考回路が再び動き出した、その安堵感と、なぜ忘れていたんだという気持ちが入り混じって、そしてまた東京に戻るときも同じことが起こることを知っている自分もいて、抗えない、「自分」というものの頼りなさと移り変わる景色に、なすすべもなく身を預ける。
それでも日常のなかでふとあの日々を思い出します。世の中には数学者以外もいるんだと。いろんなひとがいていろんなけんきゅうがある。あたりまえ。でも実感として、家族のような親密さの範囲の中でそれを感じられるというのはすごいことなのだ、と、改めて思います。
(すずき さきえ)