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私の専門は歴史言語学で、10-12 世紀の北中国で使用されていた契丹文字の研究を進めている。 契丹文字は10 世紀に「遼」(916-1125)を建国した契丹と呼ばれる民族が作製した文字で、「契丹大字」と「契丹小字」と呼ばれる2種の文字体系からなる。 これらの文字の使用者はすでに絶え、かつては存在していたであろう字書・辞書も伝わっていない。 未解読文字の研究を進めているというと分かりやすいかもしれない。 文字の解読は、文字資料の絶対量やバイリンガル資料の有無、記された言語が既知のものであるかどうかなどによって、 研究方法や期待できる解読の精密さは異なってくる。契丹文字に関しては、バイリンガル資料といえるものはわずかしかなく、 出土資料も豊富であるとは言えなかったため、解読を進めることは非常に困難であると考えられてきた。 しかし、研究者は苦心に苦心を重ね関連する漢文墓誌との比較や歴史書の記述を参考にすることで契丹文字資料の読解をすすめ、 解読の基礎を築くことに成功した。そして、近年の資料の劇的な増加によって、今まさに解読が大きく進みつつある。 内容の読解は依然として困難な部分が多いものの、現在では「契丹小字」に関しては70%以上の文字要素の発音が特定されている。
私は「契丹学の構築」というテーマのもと研究活動を進めている。プロジェクトの目標は、契丹文字の字典や契丹語 の辞書などの作成によって、契丹固有の研究状況に合わせた研究方法論の確立を進めることにある。契丹はこれまで言語 学・歴史学・考古学など様々な専門科学により研究が進められてきた。しかし、利用することのできる資料の制約のため に特定の専門科学を基盤としたアプローチのみでは極めて限られた範囲の分析しか行うことができない。契丹の総合的な 理解のためには諸専門科学の緊密かつ有機的な連携が不可欠であると考えている。契丹研究の現段階では、契丹語の文法や辞書の整備が肝要となる。
この目標に向け私は日夜契丹文字と格闘している。現在私を悩ましているのは、「契丹大字」の研究をいかに進めて いくかということである。遼の時代に作製された「契丹大字」と「契丹小字」はどちらも並行して使用された。契丹大字と 契丹小字がいかに使い分けられたのかは、まだ十分には明らかとなっていない。契丹小字は契丹大字と比べ出土資料も多 く、解読はより進展している。一方で契丹大字は資料が少なく、異体字を含めると2000 以上という多くの文字要素か らなるため、文字の発音の推定や資料の読解は容易ではない。私は現在、契丹大字と契丹小字による同一語の表記を収集し、 その比較をもとに大字の解読を進めることが出来ないか模索している。つまり、大字によって記された語と小字によって 記された語を同一のものであると仮定し、より研究の進んでいる小字の解読成果を、対応する大字へ適用することで大字 の解読を進めるということである。現在のところ、私はこのアプローチが有効であるように感じている。しかし、契丹小 字の表語システム自体がまだ完全には解明されていないことや、そもそも契丹大字によって記された言語と契丹小字に よって記された言語が本当に同一のものであるかということなど、解決せねばならない問題も山積しており頭が痛い。
現在出土している契丹文字資料は墓誌がほとんどであるが、歴史書の記述によると政治・文化の場において広い範囲 で使用されていたらしい。2011 年にはロシア科学アカデミー東洋文献研究所に契丹大字によって記された大部な冊子 本が保存されていることが明らかとなった。研究者によるとその冊子本は歴史を記録したものであるらしい。契丹文字の 解読が進めばこれらの資料の読解も進み、契丹の歴史研究・契丹語の研究は大きく進展することだろう。私の研究が少し でも今後の契丹研究に貢献できればと思いつつ、今日も契丹文字とにらめっこをしている。
契丹小字(契丹小字墓誌)
契丹大字(契丹大字墓誌)
(たけうち やすのり)