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私は言語学を専門とし、主にオーストロネシア語圏で学術調査を行っている(表1)。
マダガスカル南部(写真1)の未記述の言語の研究に従事し、やっと今一冊の本を書く準備が整った。 資料のない言語を正確に記述することは、莫大な時間と予算を必要とし、地域社会の協力なしでは行えない。 研究過程で新たに関心をもった課題は「文字のない社会の数の認識」。 簡単に言えば、非西洋の数学であるが、根本をたどれば西洋も非西洋も同じである。 数詞や計量器がなくても、人間は数を認識し自然を利用して生きている。 それを解き明かすことが今後の私の研究課題の1 つである。
『言語学』と聞くと、『何か国語くらい話せるのですか』と問われるが、語学学習と科学としての言語学は似て非なるもの。 研究の都合上、数十の言語で読み書きを必要とすることもある。 しかし、言語学者は語学学習者や語学教師ではない。 言語学は、常に変化する言語という自然物を対象にする科学である。 生物学から方法論や用語を借りている。 自然科学のスキルと知識を要とする。 ちなみに、よくある質問に答えておこう。 幼少から現在までに学習した言語は30 余り。 必要な時に臨機応変に引き出しからだし使用している。
研究室ではデータを入力し凝視している。分析のために、 「色彩語彙がない言語」「4人称代名詞のある言語」「譲渡可能と不可能の区別のある言語」「動詞の派生が生産的である言語」 「数詞のない言語」「類別詞のある言語」「系統不明な言語」「A 語族とB 語族の境目に位置する言語」と、 色々な角度から数百以上の言語資料を観察している。 約7000 ある世界の言語のうち私が見ている言語はごくわずか。 そのほとんどが、研究されていない。 過半数が消滅危機言語と言われている。
調査で苦労することは、「良いインフォーマント」を探すこと。 良いインフォーマントとは、対象言語の母語話者であり、媒介言語(仏語、英語、西語など)で説明可能で質問に付き合う根気があること。 欲を言えば、昔からの伝統や知恵に精通していること。 私は女性なので、女性のほうがよい。男性だと後々厄介になることが多い。時間のある人は少ない。 子供が10 人もいて子育てに忙しい、子供がいなくても仕事がある。 多くの場合、現地在住日本人の紹介は、良い人にあたらない、数日間の土地案内にとどまる。 自分で歩き相性を確かめ決めるのが一番。 すぐに要望を伝えるのは、失礼に思う。 トンガに到着し仲良くなっても、突然『トンガ語には、普通語と王族語の使い分けがあるのでしょう?』とは切り出せない。 民宿の主人はフィジー出身のインド系であった(フィジーではフィジー語とヒンディー語と英語が話されている)。 『フィジー語の代名詞には三数がありますよね。』と聞きたくても、抑えている。 非常に親しくなるまでは、『フィジー語とヒンディー語を話すのですか?』と、聞くにとどまった。 しかし、幸いにも私はインフォーマントに恵まれた。 マダガスカルでは、毎日朝と夕方3 時間、一人の女性が懸命に協力してくれた。 その後もほかの調査地でも私は人材には恵まれた。
ふりかけ、カレールー、楽器など色々なものを持参し、調査や現地での信頼関係構築に役立てた。 ふりかけは「黄色いのは玉子」「薄く赤いのは鱈子」「これはゴマ」と話をすると、 魚介類の語彙、色彩語彙、修飾語と被修飾語の語順、指示詞を確認ができる。 一日中、動詞の変化について聞いていては、協力者も飽き飽きする。 カレーの具材は現地で調達可能。食べ物は誰もが興味をもつことなので、場が盛り上がる。 最後に楽器。ヴァイオリンを弾くと、レストランの食事や送迎を免除ということは何度もある。
私の調査言語は、主にマダガスカル語とルルツ語。集めたデータは愛着がある。 知りたい情報を得るのに何日もかかることもある。喧嘩途中に得た資料もある。 喧嘩中にメモするかねと言われても。子供と遊んでいるときに得た資料、海を泳いでいるときに得た資料。 帰国して、長母音かも、子音交替規則が明らかになったが例が少ない、変な例文がある、と問題が出てくる。 それを確かめるために調査地へ戻る。言語の記述は科学的貢献だけではなく、 地域社会に還元するためにも、一度はじめたらやり遂げなければならない。
研究者としては、自分の研究に誇りを持って継続し専門分野以外を学ぶことを忘れないこと。 教育者としては、世界で一つだけの授業を提供すること。学術は孤独な闘いである。 息詰まり光が見えないことも多々ある。 回り道をするかもしれないが、これからも初心を忘れずに、臆することなく自分の信じる道を進んで行きたいと思う。
表1 オーストロネシア語族の対応語の例
写真1 マダガスカル南部の調査地にて
(にしもと のあ)