シリーズ白眉対談15「最適化」(2018)

曼荼羅の学習方法

(小川)仏教の、簡単になっていったってあるじゃないですか、瞑想とか。そういうのって、時代的に繰り返し起きるものですか?
(菊谷)複雑で膨大な儀礼をまとめたり、簡略化しようっていう発想自体は、汎インド的、あるいはインド・チベット世界以外にもあります。コスパの問題として、儀礼に必要な物資や人や場所や時間などいろんなものを用意するのは大変だし、コストがかかるので、できるところは瞑想に代替するっていう考えが生まれて、密教もそれに乗っかっていったんだろうと推測されます。そもそもインドで仏教と他の仏教以外の宗教ってどういう関わりがあったんだろうっていう話で、仏教って非常にマイナーな宗教なんです。そうすると中世インド世界では仏教徒たちは自分たちが一体どう生き残っていくのかっていうことを必死に考えるんですけれども、まずほかの宗教より自分たちのほうが優れていることを示さなきゃいけない。それは哲学的なディベートだったり、時には呪術合戦だったりします。生き残り戦略ですよね。はじめに最適化の関係で話そうと思ってたのは、膨大な教理・教説を仏教徒たちがどのようにまとめようとしていたかという。インド仏教の歴史はブッダが生きた紀元前5世紀ぐらいから仏教が滅亡したとされる12世紀ぐらいまで続くんですけど、そうするとそのあいだに積み上げられた教えや解釈はものすごく膨大な量になりますよね。それを仏教徒たちはできれば全部勉強したい。しかし人間の頭はキャパがあるので、全部はとても収めきれない。どのように効率よく学習するかっていう点が非常に大事になってきます。例えば、インド密教の最終段階では100種類以上の曼荼羅が登場します、少なく見積もっても。一つ一つ異なる曼荼羅の細かいディティールとかパーツの描き方や瞑想法を一遍に勉強するのって大変ですよね。インド仏教の歳晩期にアバヤーカラグプタという人が出て、彼は膨大な教説をまとめて整理するんですけれども、曼荼羅については26種の基本形を定めています。さらに描かれるべき順番としては、シンプルな四角・四門の曼荼羅を最初に取り上げて、あとは順次にパーツを足して他の種類の曼荼羅の展開図を説明していく訳ですが、それは同時に内容の重複も防ぐことになります。
(小川)それは何ていうんですかね。多分取りこぼしもしてしまうだろうし、それに対してたくさんのオプションを用意しようとすると大変そうですね。
(菊谷)そうですね。目的意識がはっきりしてる場合は、何が優先順位になるのかっていう。だから一方でどういった問題があるかっていうと、面積の大きさとか構造の複雑さと、教えのレベルの高い低いとは一致しないという。密教聖典それぞれに特定の曼荼羅があって、聖典も学習者のレベルに合わせて階梯があるので、そうすると単純に高いレベルの教えが複雑な曼荼羅をもっていて、低いレベルのものが簡単な曼荼羅を説いているわけではなくて、曼荼羅の形状と教えのレベルってのは、必ずしも一致しないんです。つまり、描きかたの説明としては形状をシンプルなものから複雑な順番へと進むのが、手順や紙幅の上では最適化なんだけど、教えのレベルの順番としては必ずしも最適って言えるわけじゃないんですよね。さっきのアバヤーカラがまとめた曼荼羅の描きかたの順番を、一方で聖典のレベルに照らしてみると、レベル3→レベル4→レベル3→レベル1→レベル4っていう。伝承しやすいようにせっかく苦労してコンパクトにまとめあげたのに、チベットにもっていったら、チベット人は「いや、お経に載ってるのと違うじゃないか」、「レベルの高い人に教えるものを、いきなり低い人が学んでいいのか」っていう。だから曼荼羅の数を増やして配列を戻したいってことで色々揉めるっていう(笑)。本来はインドの教えだけど、チベット人が単純にそれを受け入れているわけじゃなくて、チベット人にはチベット人なりの最適化のロジックがあって、ここではやっぱり聖典の優劣っていうのが一番ふさわしいっていうふうに考えているわけだから、そういった面積や構造、紙幅といったマニュアル重視の最適化っていうのは受け入れられなかったんですね。
(宮﨑)難しいところですね。
(菊谷)そこで衝突が起きるっていう。
(宮﨑)その教えの順番をよくすることで、その宗派に人が増えたりしたんですかね?
(小川)教え方を重視するのか、経典を重視するのかで宗派ってどんどん増えていったんですかね?
(菊谷)そうですね。宗派というか立場ですよね。その流儀が増えていくっていう。
(小川)そうなってくると生存競争もしなくちゃいけない(笑)。
(菊谷)そうです。アバヤーカラの曼荼羅セットは非常に人気で、仏画(タンカ)のセットの作例もたくさんあるんですけど、26種類が一番シンプルな数にも関わらず、結局42セットとかのほうが圧倒的に人気があります。チベット人の好みなので。作るコスパから言うと悪いですよね(笑)。
(佐藤)なるほど。だからそれこそ最適化を考えるのであれば、コスパ以外の要素が目的関数に入ってきてるっていう。
(菊谷)そうですね。でもさっきの生物の、リスクを防ぐのか、省力化するのかって話だったら、最小で描けるのは26なんですけど、もう少し規模を広げてチベット人の要望どおり漏れなく描こうと思ったら、最低でも42は必要なので。だからどっちを取るかっていうか。

数理最適化

(小川)いろんな最適化がある中で、どこら辺まで数理的に、数式に落とせるんですかね。
(佐藤)そうなんですよね。数理最適化としてはそこは結構重要な問題で。
(小川)こういう言葉というか、そういうモヤっとして数値化しにくいものを、どう最適化するかっていうのは、何かあるんですかね、そういう。
(佐藤)数理最適化を用いて現実問題をどう解くかっていうときは、まず最初にやらないといけないのは、どう数理モデル化するかっていうところがあるんですね。現実問題をそのまま完全に数学的に記述すると、あまりにも難しくて、得られた数理最適化問題が解けないっていうことはあるわけです。逆に、近似をたくさん入れて簡単に解ける問題にしても、それが現実問題の状況を反映していなければ有用でない解が出てきてしまうわけで、そこのバランスを取るのが重要ですね。数理最適化では、様々な最適化問題を数理的な構造に基づいてクラス分けして、こういうタイプの問題はこういうふうに解けばいいというような研究をして、それを汎用的に使ってもらおうという。
(司会)数学の理論を実際の問題に適用するための翻訳家みたいな人材が必要じゃないかと思いますが。
(佐藤)それはもうまさに、その通りだと思います。
(菊谷)その翻訳家みたいな人っていうのは、近接領域ではどういう分野の人に当たるんですか。経済とかですか?
(佐藤)経済もそうですし、あらゆる分野の人が該当し得ると思います。私の場合だったら、機械学習とか制御工学とかいろんな分野の人と一緒に共同研究をしていて。我々は白眉センターにいるから、そういうことはしやすい環境にあるとは思うんですけれども。一人で何でもできる人ってなかなかいないと思うので、やっぱり必要に応じて一緒にやっていくっていうのは、重要なのかなあというふうには思います。
(司会)ではそろそろ時間になりましたので、今日はこの辺で。どうもありがとうございました。

注1:巡回セールスマン問題。最適化問題の一つとして有名。

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