シリーズ白眉対談07 フィールドワーク(2014)
経験
(司会) 皆さんいろんな国に行かれて珍しい経験とかってあるんですか。
(前野) 自分の赴任先がモーリタニア国立サバクトビバッタ研究所という、バッタ専門の防除機関でした。アフリカでサバクトビバッタが大発生する国には必ずそういう専門の機関があります。 ローマの FAO の本部で開催されたサバクトビバッタ会議に参加し、40 カ国の代表とみんなでバッタ問題について熱い議論を交わし、「おまえの国からバッタが飛んで来たぞ」とか、「我が国は見事にバッタ防除に成功した」とか国際的にバッタについて議論することがありました。
(司会) それはモーリタニア代表みたいな感じですか。
(前野) はい。自分は日本ではなくモーリタニアの一団として、FAO に派遣されました。あと、自分のやっているメインの研究は、4、5 日サハラ砂漠で野宿して、朝から晩までバッタが何をしてるかをひたすら観察することでした。
(坂本) 死の危険とかないんですか、砂漠の中で。
(前野) 遭難すると死ぬので、車に 2 メートル近いアンテナがついてて無線で数百キロ離れた研究所と通信できましたし、車に GPS つけたり。万が一、遭難したときに備えて、何重にも保険をかけていたんですけど、1 回サソリに刺されて泣きそうになりました。
(坂本) (笑)それは大丈夫なんですか。
(前野) 夜中にサソリに刺されちゃって。で、みんなを起こすの悪いからと思って、水で冷やして我慢してたんですけども、全然治らなくて。朝、所長にサソリに刺されたって言ったら、何でもっと早く言わないんだって怒られました。(一同)(笑)
(前野) 手遅れかもしれないけど、見せてみろって言われて、患部を見せたら、 所長がつねって呪文を唱え始めて、よし、浩太郎、これでもう大丈夫だって。(一同)(笑)
(前野) で、一命を取り留めました。(一同)(笑)
(司会) 加藤さんは狩猟採集の暮らしで珍しい体験とかってされたんでしょうか?
(前野) ご飯って何食べてたんですか?
(加藤) ご飯は、サゴヤシっていう、ヤシの幹に蓄積される澱粉(でんぷん)を食べていました。澱粉を砕いて、くず粉みたいな感じにして、で、食べるときにお湯で溶いたり、いろいろなものに混ぜて食べていました。
(前野) 加藤さんが食べてたんですか?
(加藤) はい(笑)。あとは言語が記録されていない少数民族だったので、まず言語を覚えることにかなり時間がかかりましたね。
(前野) そこに住むって言って、村人は出て行けとかならなかったですか。
(加藤) 幸いそのようなことはなかったです。もともと現地では、ほかの村の人がフラッと来て、数週間一緒に住んで、また帰っていくような慣習があったので、外部者が来ることに対して、 そんなに抵抗はないようです。来る者拒まず、去る者追わずって感じでした。 また、自分の子供ではない子を養子にしたり、血のつながりのない人と義親族のような関係を結ぶことがよくあるので、私も養子として受け入れてもらうことができました。
(坂本) 水はどうしてるんですか?
(加藤) 水は、水道はないんですけど、 近くに小川が流れていて、そこですべてですね(笑)。トイレも、飲み水も、 水浴びも、皿洗いもその川で、という感じでした。
(王) 女性として危なかったこととかないんですか?
(加藤) 村にいるときは、安全でした。 やはり村の慣習法というか、村の人々の目で守られているので、危ないことはなかったです。むしろ多分、全然知らないところに 1 人で行ったり、街に行ってスリに遭ったりとかそういうことのほうが、危ないかなと思います。 あとは、そうですね。言語的に言ってはいけない言葉が結構あって、それを知らずに私が言ってしまって、あっ、 みたいなことは、よくありました。
(前野) 禁断の呪文みたいなやつを(笑)。
(加藤) ええ。何か縁起が悪いことを言ってはいけないとか。そういう日本ではない慣習に自分の口と思考回路を慣らしていくのに、時間がかかりましたかね。
(司会) 坂本さんはいかがですか?
(坂本) どうですかね。川の話がありましたけど、ブータンでもブロッパって呼ばれる遊牧民がいて、ヤクとかを飼いながら移動してるんですけど、夏の場所は 3000 メートル超えるようなところにいて、ここは寒いので、冬になると下に降りてくるんです。その冬用の小屋は、やっぱり川沿いに点々とあるんですよね。そこは電気もないんですけど、人間が生きるために水の確保っていうのは、やっぱり本当に大事なんだなって、いうのを思いますよね。
(司会) 向こうで坂本さんは、みんなの病気、治すじゃないですか。みんなにはどういう感じで見られているんですか?
(坂本) 1 回こういうことがありました。 週に 3 回以上気を失うおばあさんがいたんですよ。それでみんなから、黒魔術にかけられて呪われていると言われてて。でも、症状聞いたら、てんかんだったんですよ。一応、診療所にてんかんの薬もあったんで、薬を出したら、 症状が治まっちゃったんですよね。そしたら、だいぶ遠い別の村に行ったときにその噂が広がっていて、おまえのことは聞いたことがあるとか言われて。 ある日、でかいやつが突然現れて、呪いを解いていったみたいな。(一同)(笑)
(坂本) そういうのがあって、それはその薬が発作を抑えただけなんだけど、 ここはすごい世界だなっていうのがありましたね。

大切にしている事
(前野) 自分は、坂本さんが研究を通じてその国にもいろいろ貢献する姿を見て、ああ、そういうのすごい重要だなと感化されました。モーリタニアと日本とは特に漁業で強い関係があるのですが、バッタ研究を通じて、モーリタニアの教育方面であったり、研究であったり、経済とかそういう方向にもいろいろ貢献できたらいいなっていうふうに考えるようになりました。
(王) 坂本さん、いつ気づいたんですか? 現地に行っておいしいデータだけ持って帰って自分の業績にする人多いですよね。
(坂本) それは伝統かもしれないです。 京大は中尾佐助1さんからのつながりというのがあって。ブータンにある未踏峰の山を登頂したいとか未知の植物を見つけたいっていうとこから始まったんだけど、川喜田二郎2さんが、ネパールの畑を見て、ここの川の水を上まで持っていってあげるような仕事をしたら、村人はすごい喜ぶだろなっていうふうにつぶやいたらしいんですよ。それを聞いたお二人の弟子である西岡京治さんが、俺は今まで頂上にばっかり目がいってたけど、これからはふもとに下りて、その人たちのために何かがしたいって言ってブータンに来たんですよね。ブータンで農業を指導して、 それでブータン農業の父といわれて、 28 年滞在して亡くなられたときには国葬になったんですよ。それだけブータンの方々のために尽くしたんです。僕をブータンに紹介してくださった栗田 靖之先生は西岡京治さんの御友人だったんです。そういう縁があって自分がブータンに入れたので、ブータンとの信頼関係を傷つけたくないというか。
(司会) 他の方にもお聞きしたいんですけど、今、坂本さんが伝統をけがさないようにとか、日本が積み上げてきたものというのが大事というようなことをおっしゃたんですけど、例えばフィールドワーク研究を行うにあたって、大切にしている考えとか、そういうのって、皆さん持ってたりしますか。
(前野) 例えば、モーリタニアの人にとって、私が初めて見る日本人というケースもあるので、もし私がその人たちに対して嫌なこととかすると、日本人最悪と思われてしまうので、現地にいるときは日本代表として恥ずかしくない態度で現地の人と接し、困ってる人がいれば手を差し伸べようと心がけるようになりました。
(王) 私、修士の時に民族植物学的な調査で植物採集をやったときに、自然から学べっていうか、フィールドから学びなさいっていうのをすごく言われました。植物学者は、自然に対する畏怖とか尊敬があって、それはフィールドワークになったらなおさらで、植物は語らないけど、植物から聞くっていう態度が一緒にいてすごく伝わってきました。 それまでは移民に対する自分の先入観がすごくあったんです。けれども、相手のバックグラウンドとかあんまり最初から偏見持たずに向こうから学ぶことを通して、移民とか難民も苦しんでいる中で、そこから結構学ぶことはあるなって思いました。ただ、そういうフィールドから学べることを、日本に帰ってきて異文化を経験していない人にどうやってメッセージとして伝えるかっていうのは工夫しないといけないんです。その工夫のしどころが、多分人文系の人の大事な点というか、ただ事実だけを外から日本に持ってきても、 メッセージはあんまりないんですよね。 学んだことをこちら側に伝わるようにアレンジする工夫がないと、単なる珍しい話聞いたみたいになっちゃうから、 その工夫をどうするかとかは、ちょっと考えないといけないなと思っています。
(加藤) 私は、できるだけこちらが持っている価値観を捨てて、現地の人と同じ視点に立って、相手のことを対等に理解したいと思っています。例えばここは汚いとか、これは遅れているとか、 そういったことを現地の政府の役人や周りの人たちが言うことがあるんです。 そうではなくて、彼らの生活への敬意や、彼らの価値観への尊敬とかは常に持っていて、その行動の裏側にある考え方をできるだけ同じ視点で理解したいと思っています。なので、できるだけ同じ生活をして、同じものを食べて、 同じ視点に立てるように努力しています。あとはそうですね、現地の人のためになるという考え方はものすごく大切だと思います。例えばマレーシアでは IC カードという、戸籍のような身分証があるんですけれども、奥地では情報が入らなかったりしてマレーシア国民として登録されていない人たちがたくさんいるんですね。で、そういう人たちが身分証を作りたいと言ってきたら、それを調べて、こういうふうな手続きでできるよと一緒に手伝ったりしています。現地の人が求めている情報は、出来るだけ伝えるようにしています。私も彼らのことを色々教えてもらってるので、彼らが必要としていることがあったらできるだけ応じたいと思っています。

今後の目標
(司会) 最後に皆さんに将来の目標をお聞きしたいと思います。
(坂本) 僕はブータンに貢献したいとは思っているんですけど、自分が本当に貢献したいと思って仕事をしても、それが逆に害になることが結構あると思うんですよ。ブータンでワクチンが普及して、それは大事なんですけど、現地でインフラが整っていないので、それを村人に配ろうとした保健師さんが、 村にたどりつく途中の崖から転落して死んじゃったこともあるんですよ。こっちが勝手によかれと思って、これをやるべきだと言っても、それが現実に即していなかったら現場で働く人間を危険に曝してしまったり、現地に害を及ぼすことになるので、そこら辺は注意しないといけないなと思います。目標というか、ひとりよがりの判断で害を与えないようにと思います。
(王) 私は、タイなどで調査をやってきたんですけど、今、日本に外国人とか移民とか多いんですよね。最近、留学生も含めていっぱい日本人以外の人が、 本当にこの 20 年ぐらいで倍増というかすごいんですよね、中国人にしても。 それで、前は外国の研究で、日本のことを考えようと思ってたんですが、最近は日本のことも、異文化っていう感覚です。都市部なんかは、外国とか異文化とかいろんな問題が文化や宗教絡みで起こっているんで、日本と外国を比較するというよりも、日本の事例も異文化が混交している事例として、日本の社会を多民族とか多宗教という視点から見れるようになりたいなっていう気が最近しています。
(加藤) 私は、これまでずっとマレーシアの狩猟採集民を見てきたんですけれども、似たような歴史を持つ人たちが、 同じボルネオ島のインドネシアという別の国にも住んでいます。そこでも環境破壊とか似たような状況が見られるので、国家間でどういった相違がみられるのかを比較研究をしていきたいと思っています。あと、現地への貢献という点では、政策などへの働きかけができればいいなというふうに考えています。例えば、いま奥地の住民の生活援助として、いろいろなプロジェクトがあるんですけど、うまくいってないものも結構あります。例えば私が見ているのだと、養鶏プロジェクトとか養豚プロジェクトとかで、ニワトリとかブタとかを飼わせるんですけど、もともと狩猟採集をしていた人たちは、飼われたものを食べ物としてみなさない傾向があるんです。なのでそういったものを飼わせても、一切食べることがなくて、餌をやるだけでそのうちニワトリが病気になって死んじゃったというのがけっこうあります。政府も割とお金を出してやろうとしているんですが、慣習に合わないプロジェクトとか、 あまりうまくいってない部分があるので、そういったプロジェクトとかに何か提言をできるようになればよいなと思ってます。
(司会) 前野さんは、いかがですか?
(前野) 自分は、バッタの生態をいっぱい明らかにして、今まで人類が解決できなかったバッタの大発生を阻止する手がかりを得て、バッタ問題に終止符を打ちたいです。もう一つ、小さい頃からファーブルにあこがれてきたので、 いずれ自分がいろんな虫を研究して、 ファーブル昆虫記の続きを書いて、次世代にバトンをパスしていけたらいいなと夢見てます。
(王) 今のバッタに特化させず、いろんな虫を観察して。
(前野) バッタだけでなく、いろんな虫も研究したいです。
(司会) いずれ、前野昆虫記を出せたら。
(前野) ウルド昆虫記を出すのが夢です。
(坂本) 現実に出せるんじゃないですかね。
(前野) 何とかいけたらいいなと思います。今はバッタの研究をしていますが、 他の虫を研究してると、違ったアイデアとか考えるので、研究能力が向上してそれがいずれバッタ研究に還元されるので、いろんなかたちで研究していけたらいいなと。今は砂漠の昆虫にすごい興味を持っていて、砂漠という過酷な環境で生きている虫たちが、どういった技を秘めているのかを解き明かすことができれば、暑さ対策のヒントがわかったりとか、虫から学べることがたくさんあると思うので、いろいろチャレンジしていけたらいいなと思ってます。
(司会) 今日は海外のフィールドワークでの珍しい経験だけでなく、現地調査に対する皆さんの熱い思いを語っていただきました。お忙しいところありがとうございました。

1中尾佐助(1916-1993) 京都大学出身の植物学者。
2川喜多二郎(1920-2009) 京都大学出身の地理学、文化人類学者。