シリーズ白眉対談03 医学(2012)

医学部という選択

(司会) 今学部を選択するんだったら医学部を選んでいなかったかもしれないという可能性は?
(後藤) 僕は、ないですね。
(楯谷) 私も、ないですね。
(坂本) 僕も、ないですね。

(司会) やはり、医学部を選んだという選択自体は、OK だと。
(楯谷) OK といいますか、そうですね……、研究するようになって、医学部じゃなくて他の学部に行ってたら、 どうやったやろ、と妄想することはあったんですけど。ただ、他の学部の場合は、研究対象をマウスじゃなくて、もっと扱いやすい細胞培養系であるとか線虫であるとかハエであるとか、より維持が簡単な実験系でもっと根源的な生命現象を、あるいはひょっとしたらそういう実験動物も一切使わずにやるっていう道もあったと思います。まあ、選択肢は広がりますよね。一方、あえてその、身の回りのことに近いところ、現実的なものに近い方に身を置くという点では、医学部出身の人の発想というのは、やっぱり独特のものがあるんじゃないかなと思います。まあ、そういう意味では、医学部でもいいのかなと。
(司会) 白眉プロジェクトの任期が終わった後も、医学部に籍を置きたいという気持ちは?
(坂本) 僕は全然ないですね。
(後藤) うーん、難しいなあ。多分、 医学部にも医療経済やってる人いるので、医学部でもそういう道はあると思うんですよね。けど僕は博士号も経済だし、そのあと就職したのも経済学部ですから。経済学部にいる意味ってのは、一つは全産業の中での医療っていう産業を考えるっていうことだと思うんですよ。でも医学部行ってしまうと、医療産業を取りあえず何とかしないかんというふうに考えてしまうんで、その足枷をはめたくない、 なので経済にいたいと思います。
(司会) そうでした、後藤さんは経済学研究科でしたね。

日本の診療制度

(中略:昔に比べ病院の勤務医が忙しくなってきているという話題を受け)
(楯谷) 今はどこの病院を受診するかっていうのは、患者さんの判断に委ねられているわけですよね。 で、 やっぱり患者さんの心理としては、 何か自分に不具合が生じたときにこれを確実に治してほしいと思えば、 開業の先生よりもいろいろ機械が揃ってていざとなったらぱっと手術もしてくれそうな総合病院を選ぶ傾向にあるんですよ。
(司会) 病院を選択するということに関して、例えば厚労省などの機関で、 何とか変えていこうといった動きはあるんですか?
(後藤) 例えば、大病院だったら、直接大病院に紹介状なしで受診するときに特定療養費っていうプラスアルファの価格を設定してもいいっていうことにしています。需要の抑制を目的としているわけですけど、例えば 4,5 千円だったら、まあ払ってしまえ、っていう人もいるわけですね。 結局、日本の場合は自由がベースで、 ある意味経済学的なんですよね。価格を上げれば需要が下がるだろう、 そこは合理的に考えるだろ、って。でも実際は、命がかかると思うと実はそんなに合理的じゃないので、やはり多少規制をかけないといけないんじゃないかなあと。ヨーロッパなどだと、最初は診療所に行かないといけないっていうルートを決めてしまっている。だからほんとに自由なのは、 先進国では日本だけじゃないですかね。
(司会) その方がむしろ開業医にとっても、まず患者が自分のところに来てくれるからいいと。そして、総合病院の方でも時間にゆとりができて、 非常に都合がいいような気が……。
(後藤) しますけどもねえ。どうですか?
(坂本) 僕は反対ですね。反対というか、やっぱり GP とかそういうシステムでも、すごい優秀な人だったらいいですよ。でも、普通はそんな優秀じゃないでしょ。例えば子供のことは、実はお母さんの方が理解してたりするし。お母さんがここに連れて行って、問題ないと言われた。だけど、やっぱり心配だからこっち行った。それで問題が見つかった、っていうのが、 いっぱいあると思うんです。そういうのが完全に遮断されるのは、ちょっとまずいと思う。あと、ブータンに行って感じるのは、日本がほんと有難いのは専門医がいっぱいいて、そこに自由に行けること。自分の子供のこととか考えたら、小児科の専門医に診てもらいたいと思うのは、自然なことだし。それを無理にシャットアウトするのは、よくないんじゃないかと。
(楯谷) 患者さん側からしたら、断然フリーアクセスの方がいいですよ。
(後藤) 患者さん側からしたら、そうでしょうね。
(楯谷) 日本人のお医者さん家族が海外に行ってその地の医療を受けると、日本との差をすごく感じるみたいで。一例をあげたら、皮膚科で診てほしいときも、まず総合医のとこに行くわけですね。そして皮膚科の予約が取れたのが1か月後であると。 そういう世界なんですよ。だからやっぱり、日本のほうがそれは有難いんですけど、それだけのコストがかかってるんでしょうね。
(後藤) コストというのは多分、医療費だけではなくて、お医者さんの過労……。
(坂本) それでもってますよね。
(後藤) いろんな意味でコストをかけている現状は、どうかなって思うんですよね。急には変えられないですけど。患者さんが決めるのと、GP が決めるのと、平均的にどちらがよいかっていうと、僕は GP が決めた方がいいのかなって思いますねえ。日本はあまりにフリーアクセスなので、病院と診療所の間を移動する人が多すぎて、診療経路が把握できないんですよね。何が無駄かもはっきりしないし、ある人がどの薬をどれくらい飲んでいるかとかそういう情報さえも把握できないから、質も評価できないシステムになってしまっていて。それはさすがにまずいと思いますね。
(楯谷) 医療費の無駄は、一つには患者さん側のそういう行動を抑制できてないことによるものですよね。

内耳の研究

(司会) 楯谷さんの研究についてお聞きしたいんですが、内耳の「発生」というのは具体的にはどういう意味なんですか?
(楯谷) その臓器が主に胎生期に、どうやってできあがるかということです。先天性難聴は先天異常の中でも頻度が高く、また多くの人は老人性難聴にもなりますので、難聴の治療につながりうるという意味でも大事だなと思う分野です。難聴の原因は、 音波を電気信号に変える内耳の中の特別な部分にあることが多いんですが、音のセンサーの役割をする有毛細胞が一番弱くて、そこが一番やられやすいんですよ。哺乳類の内耳は分化が進んでいて特殊な形になっていて、成熟した哺乳類の有毛細胞は、 いったん死んでしまったら再生しないといわれています。下等な動物だと、 周りの細胞がまた有毛細胞になったりするんですけど。この有毛細胞が発生段階でどのように出来ていくかというところからアプローチしています。機能しなくなった内耳をもう一度作ってあげたいというようなものが究極の目標なんですけど、胎生期にどういう風に出来上がるかということがそのためには大きなヒントになるだろう、というような発想です。
(司会) 未来の治療という観点で言うと、痛んだ有毛細胞を人工のものでカバーするのか、再生医療でカバーするのか。
(楯谷) 理想を言うと周りの細胞が化けてくれたら一番良いですね。細胞を移植するのは難しいので。特に内耳の場合は固い骨の中に埋まってて深い場所にあるので、アプローチがとても難しいんですね。その前に、 試験管内で培養細胞や培養組織を用いて内耳の細胞や構造を再生させることから試みるのが現実的と私は思っています。網膜とかだと ES 細胞から 3 次元的な構造が作られてるんですけど、内耳ではまだされてないです。まず3次元構造を作るには何が必要かということも、発生段階ではどのようになっているかということから調べたいです。試験管内で細胞や構造を作製することができても、 患者さんに応用するにはまだまだ遠いですが、例えば新薬がどういう影響を及ぼすかといったテストには使えます。また、その研究過程で新しくわかってくることがあるはずと思います。

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